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【報告】「東アジアの現実における天下システム」研究会

2016.07.07 石井剛

7月1日から4日まで上海で会議に参加してきた。と言っても、それは大学の一角で行われるシンポジウムではなく、参加者だけで完全に閉じた集中研究会である。

哲学、文学、歴史学、政治学、人類学、地理学など異なる専門の研究者たちが集まって、一つの具体的なテーマについて、2日間、徹底した討論を行う。自分たちの日ごろの究成果を共有するのが目的の学会シンポジウムとは異なり、研究者個々のナマの関心を共通のトピックに集中してぶつける。だからこそ閉じる。そういう研究会だ。したがって会場も大学の中ではなく、近郊の小さな村に設けられた、日本流に言えば合宿所が選ばれた。わたしたち12名の研究者は、その中でかけ値なしに「缶詰め」となって、朝から夜中まで議論を交わした。

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共通の言語は中国語だ。中国語と言ってもその中にはスペイン語とポルトガル語のちがいよりもよほど大きいとも言われる方言のちがいが多数ある。わたしたちが使ったのは、北京語とかマンダリン(官話)とも呼ばれる「普通話」(共通語)である。このように説明しなければならないのは、集まった12名の言語バックグラウンドが一様でなかったからだ。オーガナイザーの鈴木将久さん(一橋大学)は日本の中国文学研究者で当然のことながら、中国語を外国語として使用する。その他、台湾から2名、香港から3名(香港は中国だが、彼らの第一言語は広東語だ)、マレーシアから1名、韓国から2名、残る2名が中国人という様相である。近年、アメリカの華人研究者の中で唱えられ、わたし自身も関心を持っているSinophoneという概念がある。英語がイギリスやアメリカだけでなく、世界各地で使われていることについてAnglophoneと呼ばれるのに対応したことばだが、この集まりはまさにSinophone的世界である。参加者以外の人々に対して門を閉ざした集会の内実は、かくも開かれた裾野を有しているわけだ。わたしはこうした裾野の広がりをたいへん心地よく感じる。そして、その心地よさは人文学研究者としての存在そのものに関わる感覚であると言って過言ではない。それはわたし自身が世界に向かって開けていく感覚だ。やや強く言うと、いまの時代、この感覚なくしてすぐれた人文学研究が成り立つとはわたしには思えない。

ついでに述べておくと、会議の初日には、2年前に同じ場所で行われた第一回会議の成果集として香港で出版された書籍、『當中國深入世界:東亞視角下的“中國崛起”』(鈴木さんの編集)が配られた。Sinophone worldとAnglophone worldの結節点である香港からこの書籍が出版されたことの意義は言わずもがな大きい。閉じた空間での議論がそうして世界に開かれるのだから。拙稿も掲載されているこの書籍については、別の記事で紹介してもらう予定なのであわせて参照されたい。

最後に、鈴木さん、共同オーガナイザーの賀照田さん、いっしょに議論を交わした劉擎さん、程美宝さん、羅永生さん、魏月萍さん、徐進鈺さん、甯応斌さん、李南周さん、李政勲さん、さらに議論だけでなくこのすてきな場所を提供してくださった張頌仁さんの友情に感謝したい。

文責:石井剛(UTCP)
 

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