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【報告】「国際哲学オリンピック・ベルギー大会 石川知輝(佳作入賞)」

2016.06.27 梶谷真司

2016年5月12日(木)から15日(日)まで、ベルギーのヘントで開催された第24回国際哲学オリンピックにおいて佳作入賞された石川知輝さんの報告です。

*******************以下、石川知輝さんの報告********************

このたび国際哲学オリンピック(IPO)に参加した石川知輝です。中学三年生の時から哲学オリンピックに挑戦してかれこれ三年となりますが、今回のIPOは、この三年間のどの経験とも大きく異なるoverwhelming(圧倒的)な体験でした。世界中から集まった高校生と哲学やそれぞれの国について話すのはものすごく楽しかったのですが、一方で彼らとの議論や話についていけないこともしばしばで、そのレベルの高さは圧倒的としか言いようがありません。

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こういうことを話すと、「外国人は英語得意だからね」とか「哲学が高校の授業になっている国もあるからね」という人がいます。確かに、実際僕は英語がそんなに得意ではないので、英語力でおいていかれたというのは事実ではあります。そして、どの参加者も哲学に関する知識は抜群でした。しかし、あとから振り返ってみると、その原因は言語と知識だけではないように思うのです。一応僕も厳しい国内予選を勝ち抜いて代表となった身なので、自分の考えを述べるだけの英語力はあります。哲学的知識もそれなりにあります。それでも、議論になるととたんについていけなくなるのです。それはなぜなのかを、少し考えてみました。

IPOの参加者と話していて、強く感じたことの一つが、各人が現状や自分の持っている知識に対して、はっきりと意見や信条を持っているということです。例えば、今年のテーマの一つはフェミニズムに関するものでしたが、そのテーマを選んだ人たちと話をしていると、普段からジェンダーに強い関心と問題意識を持っていることがうかがえました。普段からそういうことを考えているから自然と知識もつくし、議論でもすぐに自分の意見が出てくるのでしょう。

一方の僕は、哲学が面白いから哲学をやっているというという感じですし、調べものをするときも「オリンピックのエッセイで必要だから調べる」といった形で勉強していました。知識をただ知識として受け入れ、自分の意見を持つことがいつの間にかおろそかになっていたのです。その結果が、コンテストで入賞はしても哲学的議論にはついていけないという現実なのではないかと思います。哲学をするということは、ただ知識に基づいて考えるだけではなく、自分の意見を持つことでもあるからです。

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思えば日本の高校生は自分の意見を持つことに不慣れです。怖がっているように思えるときもあります。意見を持つということはリスクをとるということでもあるからでしょう。教育環境も影響しているでしょうが、そのせいにしても仕方がありません。個人が意識を変えないと、いつまでも世界においていかれるばかりです。僕も、今回のIPOで学んだことを糧に、これからも世界の哲友phriendsと哲学していこうと思います。

最後に、引率してくださった梶谷先生と林先生、上廣倫理財団事務局の佐々木さん、そしてともに競い合った哲友の皆さん、ありがとうございました。

(石川知輝)
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