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梶谷真司「邂逅の記録86:第24回国際哲学オリンピック in ベルギー(3)」

2016.06.03 梶谷真司

今回の課題文について述べでおこう。選ばれたのは次の4つの文章である。いずれも英語(ないし出題言語)からの翻訳である。

1)「発話された音は魂のなかで起きたことを表すシンボルであり、書かれた文字は発話された音をあらわすシンボルである。そして書かれた文字がすべての人にとって同じではないように、発話された音もすべての人にとって同じではない。しかし話された音がもともと示しているもの、つまり魂の中の出来事は、すべての人にとって同じであり、さらに、この出来事と類似しているもの、つまり実際の事物もすべての人にとって同じである。」――アリストテレス『命題論』16a2
2)「私たちのなかの道徳的実践的な理性は、断固とした拒否を表明する、「戦争は決してあってはならない」と。それは自然状態における私とあなたの間であってはならないし、内部において法治状態にあっても、外的には(国家どうしの関係においては)無法状態にある国家としての私たちの間でもあってはならない。というのも、それは、誰もがこの方法によって自分の権利を追求すべきではないからだ。」――カント『道徳の形而上学』
3)「人は女に生まれるのではない。女になるのだ。」――ボーヴォワール『第二の生』 ここに記されているセックスとジェンダーの捉え方の枠組みと特徴について、自分の議論を組み立てつつ批判的に論じなさい。
4)「環境は、人間の存在を客体化する契機であるが、そうすることで、人間は自己自身を理解する。それは自らの環境を通しての自己発見と呼ぶことができる。」――和辻哲郎『風土』

*メダリストのエッセイ http://www.philosophy-olympiad.org/

1)については、存在論、認識論、言語論、コミュニケーション論、様々な視点から読むことができる。実際に読んだエッセイは、分析哲学的な視点から書かれた言語論かコミュニケーション論として書かれており、中にはきわめて緻密にいろんな視点から論じていたものがあった。そのうち一人は金メダルとなった。

2)これは、最後に残った15本を見る限り、扱うのが一番難しかったのではないかと思う。カントについてのある程度の知識はあるが、首尾一貫した議論になかなかならず、散漫な考察になりがちなものが多かったように思う。

3)ジェンダーやフェミニズムがテーマになったのは、IPOでも珍しいが、今回はこの課題文を選んだエッセイで、最終選考に選ばれたものの2本は、いずれも優れたものだった。金メダルを取った3人のうち2人はボーヴォワールであり、しかも韓国から出場した男女二人の高校生であった。高校生で、ジェンダーの問題を(しかも一方は男性)これだけ深く掘り下げられるというのは、驚きであった。

4)最近は毎年東洋思想から一つトピックが選ばれるが、日本の思想家の言葉が出題されたのは2006年に西田幾多郎以来である。実を言うと、原文では「かくのごとく風土は、人間存在が己れを客体化する契機であるが、ちょうどその点においてまた人間は己れ自身を了解するのである。風土における自己発見性と言われるべきものがそれである。」となっている(岩波文庫24頁)。『風土』や和辻の思想を知っている日本人からすると、英語の課題文のenvironmentは、人間が主体的に関与することで成立する社会的・歴史的・文化的・自然的環境であり、どちらかと言うと、まずは自然環境を念頭に置いてそこからその社会性・歴史性を考えるだろう。しかし、今回最終選考に上がってきた2本は、ニーチェやフーコー、ドゥルーズなど、ポストモダンの視点から論じたものだった。IPOでは課題文として出された部分についてのみ問題とし、もともとの文脈がどうなっているのか、その哲学者の思想全体を正しく理解しているかどうかは問わないので、このようなエッセイも十分認められている。日本人としては、想像もしなかった解釈に基づく議論で、最初は面食らったが、実際に読んでみると、議論自体はとても面白く、刺激的であった。

今回のホスト国であるベルギーのオーガナイザー、DannyとPascalは二人とも私が4年前に初めて参加したオスロ大会以来親しくしている友人で、その意味でも今回はことのほか楽しく、また充実していた。二人はまさに完璧なホスピタリティと演出ですべてのプログラムを進めてくれた。彼らとそのスタッフに心より感謝したい。また、このような不透明で危険な国際情勢の中、国際大会への参加を支援してくださった公益財団法人・上廣倫理財団には、改めて感謝申し上げたい。

〈写真〉
エッセイを書く高校生たち
  http://www.ipo2016.be/photos/participating-students/
受賞式とお別れパーティー
  http://www.ipo2016.be/photos/closing-and-medal-ceremony/

文責:梶谷真司(UTCP)

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