【報告】UTCPプロジェクト「共生のための障害の哲学」×「Philosophy for Everyone」合同企画 哲学ドラマワークショップ「言葉のカラダ、身体のコトバ」
2016年2月27日(土)13時から17時まで、東京大学駒場Iキャンパスのコミュニケーション・プラザ北館3F身体運動実習室1にて、哲学ドラマワークショップ「言葉のカラダ、身体のコトバ」を開催した。
2016年2月27日(土)13時から17時まで、東京大学駒場Iキャンパスのコミュニケーション・プラザ北館3F身体運動実習室1にて、哲学ドラマワークショップ「言葉のカラダ、身体のコトバ」を開催した。企画を松山侑生、水谷みつる、大谷賢治郎(以上、哲学ドラマ・コレクティブ)が担当し、古舘一也(company ma)が俳優として当日のファシリテーション・チームに加わった。
今回のワークショップでは、言葉と身体の繊細で複雑な関係について、体験と対話を通して考えることを目指した。そのため、全体を大きく二つに分けて二部構成とし、前半で身体を使ったワーク、後半でワークを振り返り、思考を深める哲学対話を行なった。
ウォームアップ――歩く
ワークは、まず歩くことから始まった。ファシリテーターの大谷の合図で歩くスピードをどんどん上げていき、自分にとって最速のスピードを体験したあと、またはじめの速さに戻る。次に、周りに目を向け、心のなかで一人ないし二人を選び、その人との関係性を保ちながら歩き続ける。ここまでがウォームアップである。
重心移動に呼吸と声を合わせていく
ここから徐々に、身体と言葉の関係に意識を向けるワークに入っていく。しかし、まだ言葉は使わない。まずは、重心移動と呼吸を合わせていくワークである。上半身の力を抜いて、「歩く」状態から「重心を移動」する状態に変え、一つの重心移動に対し、一呼吸を行なう。そして、重心移動および呼吸が「浅い深い」「遠い近い」「速い遅い」といったバリエーションを加えていく。たとえば、浅い重心移動には浅い呼吸、遠い重心移動には遠い呼吸、という具合である。さらに、4つ目の要素として「方向」を加える。
次に、重心移動と呼吸に声を合わせていく。低い重心には低い声、高い重心には高い声を出し、高くて速い声、高くて遅い声、低くて速い声などバリエーションを加えていく。会場には、さまざまな声が響いた。
重心移動と声のみで会話する
続けて、他者とかかわるワークに移っていく。しかし、まだ使えるのは重心と声のみである。歩きながら出会った人に、「浅い深い(高低)」「遠い近い(距離)」「速い遅い(スピード)」「方向」の4つの要素を使って、重心と声のみで語りかけるのだ。語りかけられた人は、かならず返さなくてはいけない。「あっ」「あっ」「おー」「うー」とやりとりする参加者たち。会場は、ますますカオスになっていく。
次いで、全員で丸い円をつくり、隣の人から受け取ったエネルギーを次の人に渡すワークを行なう。使えるのはまだ重心と声のみである。さらに、「手のなかに小鳥がいると想像して落とさないように渡していく」「ものすごく熱いものを渡す」というバリエーションも加えていく。
ここまでで約1時間。最後に、テキストを書いた紙片がたくさん入った籠から、それぞれ一枚ずつを取り、テキストを覚えておくようにと言われて、休憩となった。
言葉を意味とは無関係な動きに合わせる
さて、後半はいよいよ言葉を用いたワークである。まず、大谷が言語行為論について簡単に説明する。言語も行為であり、言葉は音と意味とサブテキスト(真意)をもつ。
続けて、休憩中に覚えたテキストを、その意味とは無関係な動きに合わせていくワークに入る。テキストには、「びちょびちょだよ」「いつまで経っても、そうじ、そうじ、そうじ」といった短いものから、複数行にわたる長いものまであった。参加者がつくる円の真ん中で二人がシャドウ・ボクシングをしながら、パンチを出すたびにテキストを声に出すワークでは、タッチして人が代わるたびに、妙に噛み合ったり、まったく噛み合わなかったりするやりとりが生まれ、笑いが巻き起こった。二人一組になって両手を合わせたり、外したりする遊びをしながらテキストを言うワークでも、あちこちから賑やかな歓声が上がっていた。
真意を伝える
次に、テキストにサブテキストをつけていくワークを行なう。最初のサブテキストは「さようなら」である。二人一組となって向き合い、一人が「さようなら」という気持ちを込めて、与えられたテキスト――たとえば「ああ、あいつがいびきをかいて寝ておるんじゃよ」――を言う。言われたほうは、「さようなら」と言われた気がしたら、一歩、離れる。しなかったら、その場にとどまる。次に交替し、「行かないで」というサブテキストで同じことを行なう。このワークはなかなか難しく、どんどん距離が離れていく組がある一方、ほとんど位置が変わらない組もあった。テキストによって、サブテキストの伝えやすさも違っていたように思う。
限られたボキャブラリーで会話する
最後は、限られたポーズとテキストでコミュニケーションするワークである。それぞれもう一枚、テキストが書かれた紙片を取り、さらに3つのポーズを決める。そしてまずは、ポーズだけで会話する。次に、3つのポーズにどのテキストを対応させるか決め、その限られたボキャブラリー(3つのポーズと対応するテキスト)だけで会話する。全員で円をつくり、二人ずつ中心に出てこの二つのワークを行なったが、「このポーズとテキストに、こう返すか」と思うようなやりとりが次々、生まれ、会場は笑いに包まれた。
参加者のなかには子連れの親御さんもいたが、大人たちが日頃の抑制を忘れ、ふだんしないような仕方で身体と声で遊び始めるにつれ、子どもたちも楽しそうに会場を走り回るようになった。そのうちの年長の男の子(5歳)は大人に混じってワークにも参加し、本人も楽しみ、周りからも大いに笑いをとっていた。
哲学対話
後半は、すべてのワークを振り返りつつ、哲学対話を行なった。まずは二つのグループに分かれて、松山、水谷がそれぞれファシリテーターを務めた。この項の筆者(松山)のグループでは、「気持ちがうまく作れないのは、言葉に引っ張られるからではないか?」といった意見や、またどういう時に伝わったかということに対しては「先に言葉が出た時のほうが相手に伝わる」「意識するとダメで、衝動的に言うと伝わる」といった意見が出た(この点についてアンケートでは、「頭で考えて言おうとすると、身体が固まってうまく伝わらないことがある」と書かれていた方がいた)。他には、「放課後の音楽室のようだった」と詩的に体験を語ってくれた人もいた。
最後に、全員で一つの輪になり、どのような対話がなされたのかを共有した。もう一つのグループでは、言葉が関係を作ることや、言葉を信用・信頼することについての議論があったようだ。そして、お互いに意見や感想を述べ合ったが、非常に満足した対話になったことが見受けられた。
まとめ
今回のワークショップの目的は、言葉と身体の関係をゆっくりじっくり探求することであった。日常的に私たちは言葉を交わしているが、ほんのちょっとした違いで、意図が伝わったり伝わらなかったり、また受け取る側も受け取りやすかったりといったことが起きている(例えば同じ「それ取って」でも、取ってあげたくなったり、そうならなかったり)。それはなぜなのかを、ワークを通じて経験し、対話によって個々の体験を掘り起こしていこうという試みであった。
そのため、最後の哲学対話では特に問いは設けず、「何を体験したのか。それは何なのか」と現象学的に身体経験を探求しようとした。ある参加者からは、「最後に振り返りの時間(※哲学対話のこと)があったことが、すごく良かった。自分が体験したことを言葉にかえすことで、何があったのか理解することができた気がする」と、感想をいただいた。同じ経験をしているからこそ話せることと、同じ経験をしているはずなのにまったく違う体験をしていること、その二つの間を対話によって行ったりきたりしたことで、それぞれにとっての言葉と身体の関係性について考えや気付きを深めることができたと感じる。その一方で、もう少し少人数でじっくりと体験を聞き出し、それを一つひとつ深めていくというやり方がしたいとも感じた。次回は、もう少し対話の密度を段階的に濃くしていくことができたらと感じた。
我々がベースにしている当事者研究では「研究は一人でしてはダメ」とよく言うが、今回のワークショップを通じてそれを痛感した。言葉になっていないものを言葉にするには時間がかかるし、それを一人でするのも難しい。何気ない日常の当たり前を振り返る時間と場所と仲間が、なかなか得られない世の中であるが、今回はそんな空間を提供できただろう。
(松山侑生、水谷みつる)
*謝辞
コーディネーターとしてサポートいただきました石原孝二先生、梶谷真司先生、およびご協力いただきましたUTCPスタッフの皆様に心より御礼申し上げます。