【報告】「共生のための障害の哲学」 第17回研究会 新しい作業療法の提案-認知作業療法!
2015年10月11日(日)、「共生のための障害の哲学」第17回研究会「新しい作業療法の提案-認知作業療法!」が開催された。講演者は大嶋伸雄氏(首都大学東京大学院)及び髙橋章郎氏(北原リハビリテーション病院)、コメンテーターは景山洋平氏(東京大学/日本学術振興会 (PD))であった。以下はオーガナイザーを務められた田島明子氏(聖隷クリストファー大学)による報告である。
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大嶋伸雄氏からは、以下の2点から、認知作業療法の必要性とその課題について話がなされた。作業療法と理学療法との違い、日本人と欧米人との違いである。
まず、作業療法と理学療法の違いである。その違いは、介入の目的とアプローチ法にあるとの指摘がなされた。理学療法は、治療に主眼がおれており、医学モデル的であり、機械論的アプローチがなされるが、作業療法は、生活再建が目的であり、経験や物語生成のための現象学的アプローチが求められると言及がなされた。
そして、作業療法では障害や疾患のために突然奪われた作業活動の面を広げ、作業的存在として対象者を助け導くことが仕事であるため、対象者自身が主体的に作業を選択できることが重要だが、現実的には、クライエントの心理面への着目をあまりせず、専門職の価値観を押し付けてしまっているセラピストが多いことを指摘する。そのような現状となってしまっている、「作業療法士のアイデンティティをむしばむ要素」として、大嶋氏は、①診療報酬、②病院や施設の縦割り体制(心理と身体の乖離)、③対象者の「治りたい」という思い、を挙げる。
診療報酬については、治療的成果が重要視されるため、上記の現象学的アプローチが重要視されづらく、作業療法士としてのアイデンティティを発揮しづらいこと、縦割り体制については、各専門領域において扱う疾患・障害が心理、身体で乖離していること、対象者の「治りたい」という思いについては欧米人と異なる日本人の特性について指摘する。
3点目については、さらに詳しく言及した。具体的には、欧米は自己主張の強い社会であるが、日本はそうではなく、むしろ集団主義的であり、日本人は集団のなかにいることで安心できる心性があるが、その分、日本社会は革新性や多様性を拒む社会であると指摘する。
大嶋氏は自らの関与した患者が、「リハビリは先生がする、先生の言われたとおりに行うことで、回復していく」と語ったことを紹介し、日本での患者にリハビリテーションに対して主体性が感じられない人が存在するとする。その背景には、現実逃避し、回復のイメージから離れられない場合があるという。そうなると、作業療法士も、患者ニーズに応じようと治療に主眼を置いてしまい、本来行うべき作業療法を実施せず、理学療法化してしまうとする。
大嶋氏は、そうした現状を鑑み、作業療法士が本来の作業療法のアイデンティティを取り戻すために認知作業療法を立ち上げたという。認知作業療法の目指すところは、患者の上記のような思い込みをいかに取り除き、主体的な生活者とするかである。そのためにカウンセリング技法を用い、患者の思考とボディイメージの2つの認知的側面から気づきを促す。自立した患者作ることは海外では当たり前であるが、しかし日本において患者の気づきを促す作業療法がどこまで許されるか、倫理的に許されるか、医療者として許されるかという疑問を最後に提起した。
髙橋章郎氏からは、自らの精神障害のある人への支援の実践として行ってきたことについての紹介がなされた。自身は精神科の医療施設において復職支援プログラムを実施してきたが、復職を果たしたとしても病院に戻ってくる人や次の仕事に就けない人が少なくないなかで、農作業を行うことでみられるようになった変化、また精神疾患のある人たちとともに立ち上げたNPO法人の紹介がなされた。
NPO法人では、一般的な社会構造のなかで精神疾患のある人で働ける人のストライクゾーンが狭い状況のなかで、精神疾患の人がどこに存在できるかと考えると、むしろ社会が変わる必要があるのではないか、そうした視点を持ちつつ、精神疾患のある人の働き方を模索することをしていこうとしており、存在の多様性、働き方の多様性を世に問おうとしている。
その働き方とは農作業を行うことである。農作物の販売や出荷も考えるようになった。精神疾患のある人たちが農作業を行うなかで、復職支援プログラムでは見られなかった生気感情や主体性、能動性を感じるようになったと髙橋氏は指摘する。例えば、自宅でもやしを作り始めたり、自らホースをつないで水やりをし始めたりするなどである。また、野菜を家庭に持ち帰るようになったことで家族のなかでの当事者である父親に対する認識の変化も生じ始めた。玄関を出るときに、「病院に行くのが楽しそうだね」と妻に言われたそうである。
復職率にも変化が生じ始めた。農作業を始めたところ、従来行っていたオフィスワークプログラムによる復職支援では40%弱だったのが76%に向上した。その持続性も認められるようになってきている。
この違いはなぜ生じたのかと当事者にインタビューを行ったところ、次のような回答を得たそうである。
「土いじりをしているうちに子供の頃を思い出し、懐かしい。」「心地よい疲れがある」「仲間との出会いがある」「協力して行うことの楽しさを知った」「収穫の楽しさがある」
インタビュー結果から、髙橋氏は、農作業の効果について次の点を指摘する。病気になっても変わらない自分を感じられての安心感、同じ境遇の仲間との出会いによる安堵感、病によって失ってきた自分自身への信頼感の再獲得、思ったようには育たない野菜を育てるなかで他力に委ねることの肯定的感覚、また他者を認められるようになったことによる主体性の回復などである。
NPO法人の立ち上げによって、精神疾患のある人の働き方の多様性や存在の多様性を自分たちから社会に提示したい、お金を稼いで発言をしていくことで治って社会に戻るのでなく、そこに居ながら自分を取り戻していきたい、そして社会に統合していきたい、それらが実現することで共生や社会の多様性につながるのではないか、と話しを結んだ。
以上の大嶋氏、髙橋氏の報告に対する景山洋平氏のコメントは次の4点であった。1点目が、認知作業療法は気づきを促すことが目指されるが医療職としてまず目指されるべきことは患者との信頼関係ではないか。2点目は、文化(的差異)をモデル化してよいのか。3点目は、心理と身体の2つのスキーマは当人にとっては統合されているものではないか。4点目は、髙橋氏に対する質問であり、NPO法人化して行うことに対して社会からの差別的取り扱いに対する懸念はないか、つまり商売が上手くいかない可能性もあるのではないか、である。
景山氏のコメントに対して、大嶋氏は、次のように回答した。
1点目については、信頼関係構築は基本であり、認知作業療法によるカウンセリング技術は作業療法を円滑に行うためのものである。あくまで患者に考えるきっかけを提供するものである。実施についてはインフォームドコンセントを行う必要がある。
2点目については、文化的差異をモデル化してよいかについては、47都道府県別のモデルがあってもよいのではないかと回答した。作業療法の実践モデルである人間作業モデルはアメリカ人的思考によるものである。それをただ翻訳し日本で用いているのが日本の現状である。従い文化的差異に見合ったモデルを作成する必要がある。ただしまずは「人間」に見合うこと、その次が「文化」である。その順序でモデル化をする必要がある。一方、障害を持ってどう生きるかのモデル化であるため、それを専門職が一方的に作って良いのかという問題もある。
3点目については、心理、身体のスキーマについての質問に対しては、確かにそれらのスキーマは一緒であるが、以前の身体のイメージを残していることがある。それは現実とは異なる。今の身体をよくわからなかったりする。そうすると、リハビリが進まないことがある。よいイメージを壊してよいかとも思うが、認知作業療法を行うなかで訓練のなかで気づきを得、イメージを打ち消していく人もいる。1つのイメージをどう扱うかは課題である。
髙橋氏は、NPO法人を立ち上げるためにいろいろな人に話を聞きに行くなかで、コテンパンにやられて帰ってくることが多い経験を紹介した。例えば、地域の人に相談に行った際、「うつ病はやる気と気合である」と延々と説明を受け、当事者の方々が大変傷ついたといったことである。取り組みが成功するためには、本当に美味しいものを作り、結果を見せるしかないと言う。一方で周囲の変化も感じ始めていると言う。その中心は家族であるが、「お父さん、変なこと始めちゃったね」と家族が言ったそうである。その発言は必ずしもネガティブなものではなく、「お父さんは病気だけど生産的なことに関わり始めている」といったポジティブな意味合いが含まれていることを髙橋氏は指摘した。
景山氏からは、大嶋氏、髙橋氏からのレスポンスに対し、認知作業療法が取り扱うものは患者のスキーマであり、かつ行動変容を促すわけであるが、それは結局、髙橋氏の行っていることに関係しているのではないかとの指摘がなされ、髙橋氏より、現状は社会の側が当事者に付与するスキーマをどのようにかわすかで苦しみを覚えていること、お金の稼ぎ方の変容で自分たちの存在を肯定しなおしていくことが課題であるとの再度の応答があり、フロアを巻き込んだ全体ディスカッションへとつなげた。
報告:田島明子