【報告】東京大学―北京大学合同ウィンターインスティテュート(7)
引き続き、2016年1月に行われた北京大学と東京大学の批評理論に関する冬期インスティテュートについての報告です。いよいよこの冬期インスティテュートもクライマックスとなりました。今回は最終日の1月14日と15日に行われた参加学生の発表の模様について、西岡宇行さんと平井裕香さんに執筆してもらいました。
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1月14日午後は、本インスティテュートに参加する学生らが、インスティテュートに関わるテーマを各々自由に発表し、それについてディスカッションが行われた。
最初の発表者は東大側から参加の邵丹氏だった。邵丹氏は、ご自身の研究テーマである、日本におけるアメリカ文学の紹介とその翻訳に関して発表し、また、翻訳に不可避に同時代の国家間のポリティクスが介在していることを指摘した。続いて、北京大から参加したWu Ke氏は身体を主題化し、通常イメージとしてしか把握され得ない自己の身体への意識を超え、本当の意味で身体性に回帰するにはどのようなことが可能かということを問うた。東大側の西岡宇行氏は、90年代以降主に勃興したトラウマスタディーズを主題化しそれとフレドリック・ジェイムソンのアフェクトという概念との関係を指摘しようと試みた。北京大から参加したHu Yang氏は毛沢東とアルチュセールの「矛盾」という概念の差異を、12日にインスティテュートにおいて解説されたのとは異なる観点から今一度精緻化して発表した。東大側の石丸恵彦氏はチャールズ・テイラーの思想を紹介ながら、アジアにおけるモダニティと民主主義の有り様について再考する必要性を喚起した。北京大側のShi Lei氏は顕著な活躍を見せる中国の三人の現代作家を引き合いに出しながら、三者が共に、歴史をいかに語るかという問題に直面していることを紹介した。
文責:西岡宇行(東京大学大学院修士課程)
1月15日午前は、引き続き学生による発表とそれに関する質疑応答を行った。金景彩氏は、(日本語でいうところの)朝鮮戦争を背景として韓国で盛んに唱えられた「東洋論」に焦点を当て、その歴史的意義、「弱い主体(weal subject)」から発する普遍性について批判的に検討した。Gu Xiaolu氏は、Jamesonの著作を広く取り上げながら、リアリズムの完成不可能性、モダニズムおよびポストモダニズムとの連続性、さらに今日の世界を表象し得るものとしての新しいリアリズムの可能性などを指摘した。平井裕香氏は、Minor Literatureに関するJamesonの議論を下敷きにしながら、川端康成の評価がたどった歴史的経緯を概観するとともに、第三世界における翻案作品を紹介することをもって、批判的な読み直しの可能性を示した。Gong Shunyun氏は、連続的革命(continuous revolution)に関するMaoの主張を引きつつ、中国におけるフェミニズムの展開をまとめ、女性たちのあいだの格差という今日の課題を提示した。菊間晴子氏は、大江健三郎の小説論およびノーベル賞受賞講演に現実へのコミットメント、またその方法としての「異化(defamilialization)」の強調を見、それらの実践として『燃え上がる緑の木』を分析した。
文責:平井裕香(東京大学大学院博士課程)