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梶谷真司「邂逅の記録79:「何もしない」場を開く」

2016.01.01 梶谷真司

4月にセンター長に就任して最初の新年。小林さんが去ることを覚悟して一年が過ぎた。彼のいないUTCPはどんなふうになるのだろうと、不安半分、期待半分であった。が、思いのほか、と言うべきか、思った通りと言うべきか、大きな変化はなかった。それは彼の存在意義が小さかったからではなく、彼の存在が、退職後もオフィスに、あるいは、私のなかにも染みついているからだろう。彼はほぼ、守護霊と化している。ありがたいことだ。

けれども、私自身を外から見る目は変わった。はっきり「センター長」と呼ばれるようになったおかげで、「梶谷さん、大変だね」と言ってもらえるようになった。そんなときは「ええ(ずっと大変だったんだけどね)」とニコニコしながら答えることにしている。この間ずっとシャドウだったので、外から見れば、私は大したことは何もしていない人だと思われていたのだろう。ちゃんと同情してもらえるのは、気分の悪いことではない。

さて、本当に私が何をどれだけやっていたのか、あるいはしていなかったのかはともかくとして、この一年で私が心がけたのは、「何もしない」場を作るために努力するということだ。私が何もしなければ、その場に来る人が自ずと「何かをする」ようになる。それが理想だ。大学で、地域コミュニティで、田舎の村で、対話の場をもってきて、私が思ったのはそういう可能性だった。イベントとしてこれを最も意識したのが高校向けの「哲学は部活だぁ!」と学生向けの「てつがくってサークルだよね」である。「部活」は、高校で考えるのが好きな生徒と先生が課外活動として集まる場を作ってほしいという趣旨、「サークル」は、大学生(主に学部生)が大学を超えて集まる“超”サークルを作るというものだ。しかもそういう場は、楽しくないといけない。授業はつまらないけど、課外活動は楽しい。大学は退屈だけど、サークルは楽しい。だから大学のサークルだったら、サークルらしく、彼氏彼女ができる(できなくてもいいけど)ような「出会いの場」になったらいいなという思いがあった。言い出しっぺは私なので、まずは私が動くしかない。が、趣旨は必ずしも伝わりやすくはなかったようだ。

ここで私が提案したかったのは、「みんなが自分から何かやってくれれば、必要な協力はする」ということだが、「そんなことはできない」という人、「何でそんなことをするんだ」という人、「何をしてくれるんだ」という人がけっこういる。いろいろ説明はできるが、結局はやりたい人がやればいい、そうでない人は今まで通りでいい。あえて説得する気もない。一回言っただけでも、伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない。それでいい。伝わらない人に、努力して分かってもらうつもりはない。というか、無理だ。私は、これまで自分の専門的な関心についても、哲学対話についても、そういうことを何度も経験してきた。だから、人に分かってもらう努力は、基本、一回しかしない。でも、一回はやる。

「部活」と「サークル」のイベントも、一回やって、それでダメならそれでいい、PDの阿部さんが作ったポスターのおかげで話題にはなったので、それで十分――そう思っていた。が、やっぱりちゃんと伝わる人には伝わった。少しずつではあるが、きちんと、着実に動き出した。そうやって新しく人が集まる「出会い」の場ができれば、おのずと何かが始まる。「何かをする」人が必ず出てくる――その確信はもてた。

そのさいもう一つ、自分がこだわったことがある。それは、絶対に自分が責任をとらないということである。取るのは「何かをする人」である。私はむしろ「何もしない」ことに責任を取らなければならない。それは、私の願いがどこにあろうと、つまり誰かに「何かをしてほしい」と思っていたとしても、である。世の中、他人のためにやるべきでないことをあれこれする人が多すぎる。徹底的に自分のやるべきことを自分の責任でやるべきだ。そして他人がすべきことに対しては、誰もがお互いに徹底して無責任でなければならない。そうして初めて私たちは、互いにともに何かをしていけるのだと思う。UTCPが掲げる「共生」の理念も、そういうものではないだろうか。今年も私はそういう「何もしない」無責任な場をさらに広げていくつもりである。

これはこれで結構しんどいんだけどね。また言われそう。「梶谷さん、大変だね」って。

みなさま、今年もUTCPをよろしくお願いします。

2016年元旦


UTCPセンター長
梶谷 真司

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