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【報告】 2015年度 駒場祭「こまば哲学カフェ」[3/3]——(3)最終日編

2016.01.15 梶谷真司, 土屋陽介, 水谷みつる, 神戸和佳子, 阿部ふく子, 安部高太朗, Philosophy for Everyone

 2015年11月21日(土)から23日(月・祝)まで第66期 駒場祭が東京大学駒場キャンパスにて開催され、今年もP4E研究会のメンバーを中心に「こまば哲学カフェ」を企画しました。年をまたいでしまいましたが、その模様をご報告いたします。第3回目の今回は、最終日の様子をお伝えします[3/3]。

Session 7: 「子どもの/で哲学」(企画:安部高太朗)
——11/23(月・祝) 10:00-12:00

 誰もが「子ども」だったはずなのに「子ども」という存在は実に謎に満ちています。このセッションは「子ども」の謎に共に向き合うものでした。

 まずは、企画者がスライドを使って話題提供をしました。「赤ん坊の頃の記憶はないけれど、(多くの人が)自分も赤ん坊だったと思うのはなぜ?」、「カラダが大きくなると大人になったと言える?(江戸川コナンは子どもか、大人か?)」、といった子ども(と大人)をめぐる疑問をいくつか提示し、また何かに夢中になるという状態が子どもらしさとつながるのではないかと意見を表明しました。

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 これを踏まえ、対話は「子どもらしさとは何か?」という問いを設定して行いました。まず、参加者に「自分が子どもだった(と思う)頃に夢中になっていたもの・ことは何か?」という問いについて一人ずつ答えてもらいました。それをきっかけに「なぜそれに夢中だったのか? 今もそれに夢中になれるか?」、といった問いが出ました。興味深かったのは「今はもう興味がない」あるいは「今も変わらずに夢中になれる」という答えの他にも、「夢中になる周期があって、そのたびにハマる」といった答えがあったことです。

 最終的に「(子どもは)いつ大人になるのか?」という問いに収斂しましたが、あれこれ意見が出てきたところで終了時間となりました。文字通りの子どもも大人も、朝のひととき、ゆっくりとしたリズムで共に思考することができました。

(安部 高太朗)


Session 8: 「におって、話そう」(企画:古賀裕也;堀静香;永井玲衣;今井祐里)
——11/23(月・祝) 13:00-15:00

〈なぜ「におい」?〉
 企画を「におい」に決めたのは、夏頃だったでしょうか。朝、家の玄関を出ると、ふと「夏のにおい」のようなものを感じ、ちょっと切ない追憶のようなものがわきあがったのですが、それは言葉にはできませんでした。というか、そもそも人に話そうとも思いませんでした。
 いつもならすぐに忘れてしまうことですが、この言葉にできなかった感覚を、そのまま哲学カフェにぶつけてしまおう!そう思ったわけです。ちょっとした挑戦です。しかも、においをかいで話すなんて、難しいことを考えずにだれでもできるし、あとは何とかなる!企画の背景は、だいたいこんな感じです。

〈当日の様子〉
 当日は、40名ほどの方に参加いただきました。8~10名のグループを4つ作り、それぞれ進行役に任せます。はじめに、シンプルなにおいを入れた「赤カプセル」、つぎに複雑なにおいをいれた「黒カプセル」を使って、それぞれ10分ずつ思いつくままに印象を話し合います。中に何が入っているかは見えません。

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 赤は、キャラメルポップコーンなどの具体的な対象、あるいは映画館やディズニーランドといった場所を思い出すようです。中には、チョコとか、家の近くの森のにおいなどの主張も出たようです。どうして同じにおいをかいでいるのに、このように分かれてしまうのでしょうか。そのあいまいさ、多様さが序盤を盛り上げてくれました。カプセルを渡しあって、おたがい必死に考えます。
 黒は、何かの対象と一対一に結びつけられず、きれいなお姉さんっぽい、男の部屋っぽい、風呂上がりとか旅館の洗面台とかのにおい、新車の座席脇のにおい…など、かなり言葉にするのが苦しかったようです。そのもどかしさが楽しめたとおもいます。カプセルに鼻を近づけて真剣に悩む様子があちこちで見られました。
 その後、赤と黒を比較しながら話してもらい、「人工的なにおいと自然のにおいの違いはどうして分かるのか」、「いいにおいとわるいにおいについて」、「名前がつけられるにおいとそうでない複雑なにおい」など、だんだんと対比的に論点が浮かんできます。

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 コーヒーのにおいなども用意して休憩していただいたあと、なるべく問いをしぼって一つの論点に集中することにしました。各グループで出た問いは次のようなものです。
 「においで思い出すことと、知識を思い出すことはどうちがうか?」、「なぜきらいなにおいがあるのか?」、「においも、人も、きらいな時は理由を言わないといけない気がするのはどうして?」、「人の言うことや先入観でにおいの印象がかわるのはなぜ?」、「どうしてコーヒーのにおいで気分がリフレッシュするのか?」…私(古賀)のグループでは、「においにも男女の文化的なバイアスがあるのでは?」(たとえばコーヒー、タバコ、香水)という話になり、時間いっぱいまで、議論は尽きませんでした。

 においの正体が分からない状態で、においをもとにした問いに取り組むということは、二重のわからなさのなかで非常に高度な思考を行うことだったと思います。今回の冒険が、ただにおうだけで終わりにならず、まさかここまで考えることになるとは予想できませんでした。ご参加いただいた皆様が、たがいに気づかって真剣な思考の場を作って下さったおかげです。一方、誰でも参加できるという哲学カフェという場だからこそ、そうでない場合も生じました。これは「哲学をすべての人に」を掲げる以上、今後の大きな課題だと思います。

 ちなみに、赤カプセルの中身は「キャラメルポップコーン」、黒カプセルの中身は「男性用香水と女性用香水」でした。

(古賀 裕也)


Session 9: 「てつたん!~哲学対話×短歌のこころみ~」(企画:廣川千瑛)
——11/23(月・祝) 15:30-16:00 *当初は15:30-17:30と誤って時間設定していた。

 絵本や紙芝居から問いを見つけて深めていく哲学対話があるのなら、短歌から問いを見つける哲学対話があってもいいじゃないか――「てつたん!~哲学対話×短歌のこころみ~」は、企画者のそんな思いつきから始まりました。物語とは違って、一首一首の解釈が読者の想像に大きく委ねられている、謎を取り出そうと思えばいくらでも取り出せる、そんな可能性を哲学対話にも応用してみようという試みです。

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 最初は、企画者による短歌の簡単なレクチャーから。そもそも短歌になじみの薄い方々には、まず短歌に目を慣らしていただくことが必要だと考えたためです。短歌は色々な場面で詠まれること――恋の思いを述べたり、生活の苦しみを表現したり、お礼がわりに用いたりすること、などを簡単に説明しました。<君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ(北原白秋)><はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る(石川啄木)>などを紹介し、アイスブレイクへ。<そうだとは知らずに乗った地下鉄が外へ出ていく瞬間がすき(岡野大嗣)>をもとに、自分の「すき」な「瞬間」を話してみようというものです。「どこからでも切れますの袋を失敗せずに開けられた瞬間が好き」「急いで横断歩道を渡り終えたとき、自分の後ろにいた人たちは全員赤信号で足止めされたと分かった瞬間が好き」など、各自自身の、しかし共感を誘うような体験談が出されました。

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 短歌をもとに自分のことを語り、相手の話を聴く、という練習ができたところで、いざ問い出しのための短歌を……と本題に入ろうとしたところで、時間切れになってしまいました。企画者であり、こまば哲学カフェの学生代表でもある私が、駒場祭最終日の公開終了時間を勘違いしていたのでした。本格的な対話に入れないままセッションは終了。ご来場いただいた皆様には大変申し訳なかったです。

 P4Eイベントや別の形で、短歌か俳句を使った哲学対話ワークショップは後日改めて企画する予定です。そのときにまたお会いしましょう!

(廣川 千瑛)

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