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【報告】憲法と平和を問いなおす ー米中、東アジア、市場国家と安保国家ー

2015.12.21 川村覚文

2015年12月19日、東京大学駒場キャンパス12号館1213教室にて、シンポジウム「憲法と平和を問いなおす ー米中、東アジア、市場国家と安保国家ー」が開催された。メインスピーカーに前台湾副国防大臣の林中斌氏、コメンテーターに東京大学社会科学研究所教授のグレゴリー・ノーブル氏、そして総合司会に早稲田大学法務研究科教授の長谷部恭男氏をお招きし、昨今の中国をめぐる東アジアの状況について、議論がかわされた。

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まずUTCPの川村が軽い挨拶をした後、長谷部氏による国民国家と国際関係に関する短い分析が、本シンポジウムの趣旨説明も兼ねて述べられた。長谷部氏は長期傾向としては国民国家が相対化されポストモダン国家化するヨーロッパに対して、東アジアは依然として近代的な国民国家体制が国際関係を強く規定していると指摘された。そして、その理由として、多くの東アジアの国家はいまだリベラルデモクラシーを原理として採用していないことを挙げられた後、異なった政治=憲法原理を持つ国家同士の対話の難しさを指摘された。このことは、日本と中国の間にも見られるものであり、そのため両国の関係は最も良くて戦略的な友好関係を築くか、それともジャン=ジャック・ルソーが言うように「根本的に異なる社会契約を持つ国家同士は全面的な戦争にいたる」のか、いずれかではないのか。こういった国民国家と国際関係をどのように考えるのか、というのが本シンポジウムの目的である、と長谷部氏は述べられた。

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そして、林氏による講演へと移っていった。林氏による東アジアにおける中国を巡る紛争は、以下のとおりに分析できるという。

多くの人が、東アジア海域における中国との緊張が、軍事的衝突を切迫したものにしていると考えていたが、今までのところそういった事態は起こっていない。メディアによる偏向、すなわち、異なった意見がいかに協議を経て妥協へと向かうことができるかということより、それらが折り合いのつかないくらい競合していることを強調するという偏向のせいで、現実に関する大衆的な認識は、より複雑な現実を見過ごし簡略化する傾向がある。

中国との東アジア海域における緊張は、以下のような一連の強制的(compeling)な要素から派生している:中国による2008年以後の発言、アメリカによる東アジアでのプレゼンスの拡大という試み、周辺国による領土防衛の高まり。これら3つのすべての対外政策は、すべて国内的な問題に根をもっている。一つの主体による対外的な強攻策は、国内的な見返りを生む、あるいは、国外での強攻策は国内的な喝采を引き出すものなのである。

これらの緊張の高まりは、武力紛争へといまのところ波及していないが、それは一連の抑制的(restrain)な要因のおかげである:北京政府の何十年もの対外政策の指針としての「開戦無き係争」、アメリカにおける妥協主義者(アコモデーショナリスト)の増加、周辺国によるリスクヘッジ的な戦略の採用。これら3つはすべて経済的な相互依存が高まりつつあるという事情を反映しており、そのような相互依存は地域的な勢力同士、あるいはアセアンのような経済ブロックにおいて、典型的に見受けられる。周辺国による中国への経済的依存は、それらが中国に対して戦争を仕掛けることの歯止めになっている。中国とアメリカの経済的な相互依存は、その一方で、お互いが武力紛争へと突入することを防いでいるだけでなく、中国がその周辺国へと戦争をしかけることの歯止めにもなっているが、なぜならそのような戦争は中国とアメリカの経済的関係を破壊し、中国経済にダメージをもたらすものだからである。

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強制的な要素は、主要な勢力の指導者が変わる時期に連動しているが、それは、国内的な権力ゲームにおいて支持を勝ち取るためには、強攻的に振る舞う必要があるからである。しかしながら、抑制的な要素は、(それらよりもより長いスパンで存在する)持続的なトレンドに属している。経済的な相互依存は時間が経てばたつほど促進されるだろう。比較的視点から言えば、前者の賞味期限は短く、後者の賞味期限は長いのである。このことは、結局のところ地域の安定性が保持されることの良い兆候であるといえよう。

東シナ海と南シナ海という二つの舞台(劇場)を比較してみよう。前者においては、中国の振る舞いは日本に対する反動であるといえる側面がより顕著であるようにみえるが、それは日本の国内政治に対して延々とたまっている人々のフラストレーションが東京の指導者たちをして2012年の尖閣諸島問題を引き起こさせ、中国への挑戦的な態度を取らせ続けているからであろう。後者においては、中国の振る舞いはヴェトナムとフィリピンに対して積極的な側面がより顕著であるように見えるが、それは北京の指導者たちが「マラッカ海峡の悪夢」に取り憑かれているから―すなわちこの海域を通る南海洋上のオイル供給ルートを保持したいという圧倒的な関心があるから―であろう。

「開戦無き係争」は、中国発祥のアイデアではあるが、しかし東アジアでの地域秩序の鍵となるアクターすべてによる弁証法的な振る舞いを要約するに最も適切な概念である。

東アジア海域における緊張の底流にあるものは、アメリカの卓越的立場から中国の台頭へ、というパワーバランスの変化がある。この二つの巨人は、双方が最終的に受け入れることのできる新しい均衡的な関係を模索しているのである。

林氏によれば、できうるアドバイスは、国家を運営しているそれぞれの主体は、ライバル国家の対外的な強攻策に対して、過度のリアクションをとることは慎むべきである、というものである。このようなリアクションは、強攻策をとっている国の国内的なオーディエンスに餌をあたえるようなものである。このことに注意することが、将来的な地位的な秩序の安定を促進することになろるであろう。

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以上の林氏による講演の後、ノーブル氏からコメントが行なわれた。ノーブル氏はこのようなタイムリーなトピックを議論することに関連して、東アジアにおける、その背後にある共時的な問題について指摘された。まず、東アジアにおいては同時期に様々な学生主体の反政府運動が盛り上がりを見せた。すなわち、日本でのSEALDs、台湾でのひまわり運動、香港での雨傘運動であり、そして韓国でも名前は特にないが同種の運動が盛り上がりを見せている。

また、東アジアの各国はその国内政治において同様の問題を抱えている。それは、一つは保守派による政治支配であり、その次には中国の台頭(への関心/懸念)であり、さらには不平等の拡大と若者の将来への大変暗い見通しであり、最後には憲法あるいは基本法をめぐる不安定要素の増大化、である。台湾は「中華民国」として居続けるのか「台湾民国」へと舵をきるのか、香港では基本法と民主的選挙の関係はどうなるのか、韓国ではもう片方の分断された国家にどのような態度を取ることができるのか、そして日本では憲法9条をめぐる憲法解釈はどうなるのか、以上のような問題が存在している。

さらには、このような東アジアの状況と似たような問題は実はヨーロッパやアメリカにおいても、起こっている。イギリスでは地域議会の成立や、EUからの離脱などが問題になっており、またアメリカ合衆国でも、2大政党制を核にした議会制度と大統領制度のあいだの軋みや衝突が目立ち始めているのである。

これらの問題を指摘された上で、ノーブル氏は次のようなことを指摘された。すなわち、我々は憲法を不朽の基本法であると捉えがちであるが、しかしほとんどの国においてその生命は驚くほど短い。そして、憲法をめぐる潜在的な緊張は大変多く存在している。そのため、憲法問題を考えるためには、それを純粋に法学的にのみ考えるのではなく、政治経済的な問題との連関において考える必要があるのである。これは、本シンポジウムにおける林氏の発表が、まさ「憲法と平和」を考える上で、いかに重要であるのか、ということの指摘であると理解できよう。

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この後、長谷部氏による中台関係の将来的な見通しへの質問が林氏へとなされ、そして参加学生からの壇上の三人の方への質問がなされた後、会場へと質疑応答が開かれた。そこでは大変活発な議論がなされ、本シンポジウムは盛況のうちに幕を閉じた。

文責:川村覚文(UTCP)

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