【報告】外国人が日本に住むってどういうこと?
若手研究者による企画イベント「外国人が日本に住むってどういうこと?」は、予定通り10月24日(土)の13時から開催された。
初めやや少人数で開始されたが、時間が経つにつれて30名前後の参加者となった。最初に、企画者であるUTCP の佐藤から、企画の趣旨等が報告された。自らのイギリスでの留学と、現地での日本語教育の経験、特に自分が教えたイギリスの学生たちが日本での留学を経て、人間的に大きく成長したことを垣間見たことから、「外国人として生きる」ということに対して大きな関心を持つようになったとのことである。また、現在、佐藤は駒場キャンパス近郊の外国人が多くいる地区に住んでおり、日常的に多くの外国人と擦れ違うことも、今回のイベントを企画するきっかけになったという。
開始の挨拶のあとには、外国人が日本に住むことに関連した動画を全員で視聴した。日本語を話すことのできないインド人家族の生活に焦点を当てた動画の内容は、参加者の中から自分も同様の状況で生活している、などの感想が聞かれるなど、リアリティのある内容であった。買い物をするにも、バスに乗るにも、言語が不自由な状態では様々な困難が伴う。このような状況の背景には、英語が浸透していない日本社会の状況も関連しているようである。動画のあと、参加者と企画者が自らの体験も交えながら、様々な意見交換が行われた。全体としては、やはり語学に関する問題が多く存在するという印象である。
引き続き、哲学対話に向けての「問い出し」が 東京大学大学院「多文化共生・統合人間学プログラム (IHS)」特任研究員である小村氏の主導の下、行われ、「外国にいるときに、家族とどのくらいの頻度で連絡を取るか」、「外国にいて、困難に出会ったとき、どのように解決するか」「外国にある自国料理のレストランについてどう思うか」等々、10個程度の問いが出された。そして、どのような問いで対話したいかによって、3つほどのグループに分かれ、対話を開始した。
このイベントでは、全体として英語と日本語の両方を使用しながらの進行であったが、対話では比較的英語の使用が多かったように思われる。あるグループでは、家族同伴で、日本に移住することの難しさについて話し合われた。特に、それは、自分自身は日本語を話すことができるものの、同伴した家族のメンバーが日本語が全くできない場合の苦労や対処について焦点を当てたものであった。外国から移住してきた人々がその国の言語を話すことができないことに関して、様々な問題点が指摘されたり、批判がなされることがあるが、必ずしもその本人を責めることのできない場合があることをグループ全体で共有した。
イベント終了後のアンケートでは、このような対話が貴重な機会となったこと、また、類似した対話を広く地域社会の中で行っていく必要性など、様々な意見が参加者の中から出された。また、アンケートでは、対話と同時に、外国人と日本人が一緒になって、作業したり遊んだりする機会を設けることも重要ではないかという意見もあった。「グローバル化した地域社会」において欠如しがちなのは、異なる者同士の交流である。世界各地で、移民、経済格差、宗教をめぐって様々な「すれ違い」が存在する現代、この日本においてさらに何ができるだろうかと、自問した一日だった。
文責:佐藤空(UTCP)