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【報告】「共生のための障害の哲学」第16回研究会 アトピー性皮膚炎:当事者研究と医療人類学

2015.07.17 石原孝二, 筒井晴香, 宮原克典, 共生のための障害の哲学

 2015年7月4日(土)、「共生のための障害の哲学」第16回研究会「アトピー性皮膚炎:当事者研究と医療人類学」が開催された。講演者は宮原克典氏(日本学術振興会特別研究員、立教大学)、牛山美穂氏(早稲田大学高等研究所助教)の2名、司会・コメントは石原孝二氏(東京大学UTCP)であった。

 宮原氏は「痒みの現象学」と題し、アトピー性皮膚炎における「痒み」の経験に光を当てた。宮原氏がアトピー性皮膚炎の痒みの激化により入院した際、「ひどい痒みで入院した」ということが周囲の理解を得づらかったという。宮原氏は自身の経験を手掛かりに、痒みを「掻きたいという欲求」により特徴づける従来の医学的定義では、痒み経験の実情を充分に捉えることができないと論じる。

 発表では村田純一(2015)による、痛みを「世界への関係を閉じさせる」感覚と特徴づける議論が紹介され、それを参照する形で痒みの分析が進められた。痒みは世界への関係を閉じさせる妨害的感覚である点において痛みと共通しているが、痛みが意識対象の地位を独占するのに対し、痒みは私と身体の通常の間の相互関係に割り込み、身体主体の地位を奪うことで主体を妨害する。これは、ムズムズした不快感と掻いたときの強烈な快感との組み合わせによって、身体が勝手に掻くことを続けるようにしてしまうという仕組みによって可能になっている。このとき、私は自分の身体に対する制御を失い、身体は私と世界の関係を維持できなくなっている。この特徴は、発作的な強い痒みの後に生じる独特の疲労感や自責感にも関わってくると考えられる。このような痒み経験の分析は、患者自身の自己理解や自責の軽減、また患者と周囲の人との相互理解に役立ちうると宮原氏は論じた。

 質疑においては、アトピー当事者の方や医療従事者の方からも多数のコメントがあった。病気の背後にある「快感」の指摘の重要性が言及される一方で、むしろ患者責めに繋がるのではないかという声も聞かれた。

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 牛山氏の発表「ステロイドと「患者の知」:アトピー性皮膚炎の事例から」では、氏の著書『ステロイドと「患者の知」』(2015年、新曜社)をもとに、主として日本のアトピー医療を巡り、異なる医療体系が複数共存している現状が論じられた。

 日本のアトピー医療に関して特徴的な点は、標準医療がステロイドの治療効果を重視するのに対し、患者のうちにはステロイドの依存性やリバウンド(ステロイド使用の中断により出る症状)といったリスクを重く見る声が少なくないことである。10年、20年といったステロイドの長期的使用の影響は、現在の標準医療においてはあまり考慮されていない。

 標準医療においてはアトピー性皮膚炎は基本的に治らないものとされ、ステロイドを使いながら症状をコントロールすることが目指される。これに対し民間医療においては、ステロイドを用いず副作用のない治療が謳われる。標準医療と民間医療の中間カテゴリーとして、脱ステロイド医がある。脱ステロイド療法は「ステロイドを止めたい」という患者の思いに医師が動かされて始まったものである。脱ステロイド医はステロイドを使わずに治癒を目指すが、標準医療と民間医療のいずれも批判対象としている。アトピー患者を取り巻くセクターとしては、さらに患者団体がある。脱ステロイド医と患者がともに治療を目指す、あるいは治ることに固執せずに疾患を生み出す社会全体を問題視するなど、活動方針は団体により様々である。

 以上のような状況におけるアトピー医療をめぐり、大きな問題として、患者の知が医療の中にフィードバックされる経路がないということが挙げられる。現在の標準医療では、ステロイドを使わない治療という選択肢はない。そして、ステロイドの長期的使用の影響に関する知は患者の側にあるが、医療側には、医学的専門知とは異なる患者の知を汲み取る体制がなかなかないのが現状である。

 質疑ではステロイドがひとつの焦点となり、ステロイドの長期的影響やステロイドを使う/使わない治療の比較について、調査研究を進めようとする上での様々な困難が論じられた。また、標準医療が患者の知を取り入れ、その結果現在よりも多様になったとして、むしろ患者に選択の負担を課すことにならないかといった、より一般的な医療のあり方に関わる問題も話題になった。

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 報告者はアトピーに罹ったことはないが、多くの人が経験しているごく身近な病気という印象があった。今回の研究会を通して、決して稀な病気ではないにもかかわらず、周囲から理解されづらい特有の困難があること、また複数の医療体型の共存というユニークな状況とそれに固有の問題があることなど、新しく知ることが様々にあり、大変興味深く感じた。
ひとつの疾患を巡る状況を通し、身体のあり方や医療のあり方、また医療-患者関係に関わる様々な問題が浮かび上がってきた会となった。

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報告:筒井晴香(UTCP)

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