【報告】2015年度東京大学―ハワイ大学合同比較哲学夏季インスティテュート準備会(1)
2015年8月、東京大学はハワイ大学と共同で比較哲学夏季インスティテュートを開催します。本インスティテュートは初回が2012年にハワイ大学にて開催されて以来、本年は4回目となります。今年度のテーマは「言語(Language)」です。本ブログでは、これから三回に分けて本インスティテュートに向けた準備会の模様を報告します。まずは6月11日に開催した第一回目について、発表担当者の佐藤麻貴さんに報告してもらいます。
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一回目の勉強会は、井筒俊彦の『意識と時間』から「禅における言語的意味の問題」と「対話と非対話」をテクストとして取り上げて議論した。博士課程の学生それぞれに、ファシリテーションの練習の機会をいただくということで、今回は報告者の佐藤がファシリテーションをした。
まずは、佐藤が簡単に二つの論文をまとめ、それぞれの論文をつなぐ問題として、井筒が指摘した水平的対話(horizontal dialogue)と垂直的対話(vertical dialogue)について言及した。問題提起として、1)個人の認識に起因する言語表現としての限界と、共通の文化的理解を背景とするからこそ成立する言語空間について、2)文化的特殊性に基づいた言語空間と、それを超克すると考えられるユニバーサルな言語空間の対比について、それぞれ議論することとした。
1)に関して、「禅における言語的意味の問題」をベースに、禅問答の言語空間、言語のnegationとしての禅問答の不思議さについて議論された。言語では完全に説明不可能な状況である「無の本質」を理解したということを、言語という伝達手段でしか、師と弟子相互にその理解の有無を表現し得ない状況。それを外部から規定され与えられる言語(substance-word relation)ではなく、内部から湧き起こる言語故に成立する問答(会話)だということで、理解の一致を見た。
2)に関しては、柄谷行人の『探求』から特殊–一般、単独–普遍の関連性について川村さんから指摘を受けた。すなわち、一般性によって特殊性を記述しうるが、単独性は一般性では記述できない。それ故に、単独性は無限の存在として普遍に通底しているのではないか、という指摘だった。これに対し、LanguageとLanguage-as-suchの区別、言語の自己限定性、普遍性を持ち出すことによる特殊性の否定への態度をどうするのか、といった問題提起が成され、議論は白熱した。
第一回目の勉強会としては、大変密度の高い議論ができたと思う。二回目以降の勉強会では、いよいよ真言宗、空海の言語理論(差異性としての、あるいは縁起としての言語)について勉強していくが、その導入として言語の持つ不可思議性について問題点を共有できたのは良かったと思う。
文責:佐藤麻貴(東京大学大学院博士課程)