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【報告】UTCPプロジェクト「共生のための障害の哲学」×「Philosophy for Everyone」合同企画「べてる発さいはひ行 銀河鉄道の夜の旅――喪失と幸福をめぐる哲学ドラマワークショップ in べてるの家」(2)

2015.06.09 梶谷真司, 石原孝二, 大谷賢治郎, 松山侑生, 水谷みつる, 共生のための障害の哲学, Philosophy for Everyone

2日目――「記憶の肖像」から「哲学対話」へ

ワークショップ2日目は、べてるの家の道外での講演スケジュールなどの関係もあり、初日より参加者が減って30名であった。部屋の広さおよびワークの内容にとってちょうどよい人数となり、余裕をもってワークに取り組むことが可能になった。

最初に1日目と同じく、こころとからだをほぐすためのアイスブレイクを行った。全員で会場内を歩き回った前日とは打って変わって、銀河鉄道の車内をイメージした椅子を使ったワークだった。まず、椅子ごと移動し、順に横並びの2人1組、3人1組、そして2人ずつ向かい合わせの4人1組をつくった。次に、椅子はそのままで人だけが移動し、先ほどの4人とは違った組み合わせで席に座った。それができたら次は10秒以内、さらに5秒以内に別の席に移った。最後は皆、大慌てで移動し、少し息が弾んだところで、次のワークに進んだ。

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ワークのタイトルは「記憶の肖像――巻き戻しと早送り」。前日の銀河鉄道の夜の旅を振り返り、記憶を身体的に再構成することによって、初日と2日目を橋渡しするワークだった。2日目からの参加者に、前日の旅の様子を伝える目的も兼ねていた。この時点で参加者が25名ほどになっていたため、5人ずつ5つのグループに分かれ(部屋を出たり入ったりすることやワークへの参加は自由であった)、以下のような順序でワークを行った。

まず、椅子を4つ使ってボックス席をつくり、一人がジョバンニ、もう一人がカムパネルラになって、銀河鉄道の車内で二人が向かい合って座っている場面を再現する。そこから時間を巻き戻し、その前にどんなシーンがあったかを思い出して、印象に残っている場面をスナップショット写真(つまり動きのない静止画)として再現する。次に時間を早送りし、その後にあったシーンをやはり写真として再現する。最後にグループごとに3枚の写真(巻き戻し、向かい合わせの場面、早送り)を皆の前で発表し、他のグループのメンバーがどのような場面かを当てる。

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巻き戻しとしては、級友たちにからかわれてジョバンニが落ち込んでいる場面、丘の上でジョバンニがからだを投げ出している場面、早送りとしては、ジョバンニの切符を見た車掌が驚く場面、青年が船の上での出来事を語る場面などが再現された。表情やしぐさ、小道具などのディテールまで見事に表現されており、参加者たちの観察や記憶の細やかさにスタッフ側がむしろ驚かされることになった。

その後、昨日、停車した地点から銀河鉄道の夜の旅を再開した。ジョバンニとカムパネルラ、そして青年たちを乗せた銀河鉄道は急な坂を下りながら、サウザンクロスに向かっていった。引き返してくる列車はないと言う。やがて、背景に一面の蒼い星空が広がるとともに(銀河鉄道の夜の旅を視覚的に伝える一連の写真は、齋藤陽道氏よりご提供いただいた)、ハレルヤの大合唱が鳴り響き、列車はサウザンクロスに着き、青年たちは降りていった。合唱が消え、しんと静まり返ったところで、10分間の休憩となった。

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休憩後の後半は、二人きりになったジョバンニとカムパネルラが、「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう」と話し合う場面から始まった。だが、ジョバンニが「カムパネルラ、ぼくたち一緒に行こうねえ」と言って振り向くと、カムパネルラは消えていた。カムパネルラの名を呼ぶジョバンニ。目を覚ますとそこは丘の上だった。街まで走って降りていくと、人々が集まっていた。川に落ちたザネリを助けようと飛び込んだカムパネルラの姿が見えなくなっていたのだった。

余韻の残る物語の終わりだった。そしてそのまま2日間を締めくくるワーク、哲学対話に移った。まず、哲学対話をするにあたっての約束事を松山が説明し、梶谷がそれに補足を加えた。その後、2グループに分かれたが、途中でさらに人数が減っていたため、それぞれスタッフを加えて12人ほどのグループになった。

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次に問い出しを行なった。2日間にわたって、皆で銀河鉄道の夜を旅してきて、いま心に浮かぶ問いを思いつくままに挙げてもらった。「生きるって何なの?」「宇宙ってどこまで続くの?」など多くの問いが出されたが、目を閉じて一人3票ずつ投票した結果、「幸せって何なの?」「魂はどこに行くのか?」の二つに多くの票が集まった。どちらの問いを選ぶかはそれぞれのグループに任され、梶谷がファシリテーターを務めたグループでは「幸せって何なの?」、松山のグループでは「魂はどこに行くのか?」というテーマで対話を行った。

この項の筆者(水谷)は、「魂はどこに行くのか?」のグループに参加したが、「どこに行くのか?」という問いから予想されるような、死後の魂の行方だけでなく、「魂が宿る」という言葉に代表されるような、生きている者にエネルギーを付与する存在としての魂についても、活発に意見が交わされた。一人ひとりが自らの経験に根差しつつ、魂という見えないものについて生き生きと語っていたのが印象的であった。

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30分ほど対話をした後、全員で大きな輪をつくり、まずそれぞれのグループからどのような話が出たのか報告し合った。「幸せって何なの?」のグループでは、参加者の一人が人の笑顔を見るのが幸せと言ったことをきっかけに、笑顔と幸せについていろいろな話が出たということだった。

その後、残りの時間で2日間の感想を聞いた。べてるの家には数々のUFOストーリーが語り継がれているが、ある参加者は、よくUFOに乗って宇宙まで旅するというメンバーの話を引いて、「もしかしたら彼も本当に宇宙に行ったのかもしれないと感じた」と言った。別の参加者は、現実と幻想の交錯について、「人間が想像したり、イメージしたり、思想を起こしたりすることと、自分が一体になれるところがすごくおもしろい」という言葉で表現した。また、「友とは?」「生きるとは?」「死とは?」といったテーマも含め、『銀河鉄道の夜』のストーリーや登場人物と自分たちの病気の経験がダブって感じられたと話してくれた参加者もいた。「皆さんとお話しさせていただいているうちに、なんか元気が出てきたんですよね」というポジティヴなフィードバックもあった。

最初に松山が少し触れた通り、今回のワークショップに際し、『銀河鉄道の夜』を題材に選んだのは、そこで語られているテーマや個々のエピソードがべてるの家の人々の経験といろいろな点で重なると考えたからだった。筆者はこれまでに3回、べてるを訪れているが、とくに2011年のUTCP×浦河べてるの家討論会「当事者研究の現象学」で初めてべてるを訪れた際の出来事は、忘れがたい思い出として記憶に残っている。2歳年下の弟を自死で亡くした体験を語った筆者を、べてるのメンバーたちはあたたかく受けとめてくれた。その後、翻訳にかかわった『クレイジー・イン・ジャパン』(中村かれん著)などの書籍を通じて、べてるの家ではお葬式が非常に大切にされていることを改めて知った。20年近くグリーフを誰ともわかちあうことができずにきた筆者とは大きく異なり、べてるには死や死別を語り合う仲間がいて、それらは共同体としてわかちあわれていたのだった。

べてるには、人が人生で出会うありとあらゆる苦労や喪失の痛みをつながりに変えていく、逆転の発想の伝統としたたかな実践の積み重ねがある。だとすれば、『銀河鉄道の夜』の底に流れる死や死別、自己犠牲、疎外や孤独といった重いテーマについて、べてるの家ほど、観念的にならず、身体経験に根ざして、オープンに、そしてもしかしたらあたたかいユーモアと笑いをもって、語り合える場は他にないのではないか。そう考えたのが、筆者が『銀河鉄道の夜』を提案した理由だった。いま思えば、おそらく誰よりも筆者自身がそうしたテーマについてべてるの人々と語り合いたかったのかもしれない。引き返すことのできない銀河鉄道の旅の物語をべてるの人々とわかちあいたいと強く願った背景には、筆者自身の彼らの仲間としての当事者研究のニーズがあったのだ。

そうした思いが伝わったのか、べてるのメンバーたちはジョバンニの旅路を、自分たちのこれまでの歩みや、日々の苦労や喜びと重ね合わせて、胸の奥深くで受けとめてくれたようだった。ワークショップのなかで出た一つひとつの発言を紹介することはできないが、病気の苦労、生活の苦労、そして人生の苦労と向き合ってきたべてるメンバーならではの実感のこもった言葉が随所で語られ、べてるの家が有する共同体としての厚みを改めて深く感じさせてくれたのだった。

(水谷みつる)


まとめ――いっしょに潜れば、怖くない。

当事者研究と哲学対話にインスピレーションを得て、哲学ドラマを勝手にやり始めた私筆者(松山)は、ともすれば2つの営みから生まれたじゃじゃ馬娘である。そんな跳ねっ返りを温かく迎え入れてくれたべてるの懐深さに、私は感謝してもしきれない。

今回非常に印象深かったのは、海街である浦河の風景、大切な仲間を何人も見送った経験を持つべてるの人たち、この場所と人と思い出が不思議なほど『銀河鉄道の夜』の物語と交錯したことだ。そう感じたのは、2日目の途中で帰ったHさんが「なんか、怖いんだもん」と言っていたことにある。彼は登場人物の物語に自分の物語が共鳴し、その怖さから早めに会場を後にしたのだ。彼の後ろ姿に「辛い思いをさせてしまった」と思う一方で、場所と人と問題の親しさがより哲学ドラマを深いものにするのだと教えてもらった。

急に深くなった海に恐怖を覚えるように、物語も急に深まれば怖さも現れるだろう。そこから一時的に逃げても、私はいいと思う。一方で、仲間と一緒であれば潜ることもできると思う。哲学ドラマはそういう、仲間と一緒に潜る体験でありたいと私は願う。事実、彼は翌日、べてるの朝ミーティングでジョバンニをしきりに取り上げていた。楽しそうに「ジョバンニ!」と、ジョバンニ役を演じた古舘に声をかける彼の姿に、彼は一緒に潜ったのだと私は感じた。一緒に潜ってくれる仲間がべてるにいるおかげで。

べてるへの里帰りを終えて、少しばかり哲学ドラマも成長できたと思う。この度のワークショップで得た経験を元に、次なる活動に活かしていきたい。

(松山侑生)


*謝辞
4日間に渡り受け入れてくださったべてるの家の皆様、向谷地生良先生には、心より感謝と御礼を申し上げます。
また、ご協力いただきましたUTCPの皆様、および上廣倫理財団様へ深謝申し上げます。
さまざまアドバイスいただきました石原孝二先生、梶谷真司先生、誠にありがとうございました。
最後、メンバーの皆様に心より御礼申し上げます。 ポスターおよびスライドの写真をご提供いただきました齋藤陽道氏、ポスター・デザインを担当してくださいました堀田敦士氏に、心より御礼申し上げます。

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