【報告】Science & Philosophy Café——「科学と哲学と社会」をめぐる哲学対話
2015年6月7日(日)13時30分から17時まで、東京大学駒場キャンパス17号館2階KALSを会場に「Science & Philosophy Café——「科学と哲学と社会」をめぐる哲学対話」が開催されました。
まず、梶谷真司氏(UTCP L3プロジェクト・コーディネーター) が趣旨説明をしたあと、高梨直紘氏(東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム 特任准教授)、横山広美氏(東京大学大学院理学系研究科 准教授)、大木聖子氏(慶應義塾大学 環境情報学部 准教授)からそれぞれの報告がありました。
梶谷氏からは「科学と哲学の新たな関係を求めて」と題して科学と哲学の関係について話がなされました。古代においては哲学することと科学することとのあいだに距離感はなかったが、近代以降、哲学は科学の基礎づけとしてみられるとともに、社会と哲学の隔たりが出てくるにつれて、また、科学が社会への影響力を増す中で哲学の影響は小さくなっている、という次第について説明がありました。こうした関係を組み替えるためには、お互いに没交渉のままでいるのではなく、コミュニケーションをとること(対話すること)が重要だと梶谷氏は指摘していましたが、本イベントが科学の専門家による講演だけでなく、対話のイベントでもあるのはこうした理由によるところもあるのでしょう。
高梨氏は「天文学と社会の楽しい関係」と題して、ご自身が専門としている天文学について話をされました。報告は「日々の暮らしに天文学を編み込んでいくにはどうしたらよいか」といった視点でなされ、天文学が急激に発展を遂げている特異な時代である現代において、天文学を「敬して遠ざける」から「暮らしの中で親しむ」へと変貌させる工夫について述べられました。高梨氏はご自身も参画されている、天文学普及プロジェクト(天プラ)での活動など具体的な様相についても言及され、天文学を暮らしの中に編み込むことで、これからの天文学を担う次世代の育成にも力が入れられていることが窺えました。
横山氏は「科学はどこまで巨大化できる?——大きな装置を使う科学の悩み」と題して、予算も人も年月もかかる科学について話をされました。まず、横山氏はご自身がこの分野に進まれたきっかけとして、中学校の頃に雑誌『ニュートン』を奨められ、科学を文章で伝える人になりたいと思ったことをあげ、科学におけるコミュニケーションの重要性を強調されました。そのうえで、昨今話題になっている、国際リニアコライダーなどの予算も人手もかかる大規模科学(big science)においては政治的な判断も必要なことが多く、科学者内だけのコミュニケーションではなく、それを専門としない人ともコミュニケーションしていくことが重要になっている次第を報告されました。
大木氏は「いつか必ず起こる大地震から命を守るために——地震科学の限界を乗り越える:ブラックジョークみたいなホントのはなし」(当日、副題追加)と題して、地震学の話題から防災教育まで話をされました。地震学という科学の実効性についてよく問われる「地震予知はできないのか」という問いに対しては、地震が岩盤の破壊現象であり、そもそも破壊という現象は科学的に解明されていない次第を明らかにされ、また地震は実験では検証できない難しさがあると説明がありました。これまで大木氏ご自身は、記者の方との勉強会を定期的に行ったり、実際に防災教育として学校などに行かれたりと防災行動が向上するような工夫をしてこられたことが報告からは窺われました。それでも、学校で防災教育がカリキュラムに盛り込まれづらい理由として、そもそも防災教育にはお金がかからない——がゆえにかえって順番として軽視されてしまう——からだという事情もお聞きしましたが、これはなかなかにショッキングなことでした。
以上、3名の報告を踏まえて、イベントの後半では哲学対話を行いました。
全体で問い出しをしたあと、2つのグループに分かれて哲学対話がなされました。どちらのグループも取り組んだ問いは、「誰が、何を、どのように、科学についてコミュニケーションするのか?」でした。
グループAでは、「体験としての科学」、「身近に感じられる科学(子供が周りのものをとらえていくプロセス)」といった視点で対話がなされ、「何があると科学は価値を発するのか?」という点に話が収斂したようです。また、実学と社会とのつながりをこそじぶんの頭で考えることが大切だという意見が出ていました。
グループBでは、そもそも「科学においてコミュニケーションは必要か?」という疑問をきっかけに話が深められ、「科学とはそもそもコミュニケーションなのではないか」また「科学はひとりでは成り立たない」といったように、科学という営みが客観性を重視する以上は、コミュニケーションが必要であるという点にまで議論が深まりました。
その後の全体討議では、誰とコミュニケーションするか、関係のある人とつながるコミュニケーションをどう構築するか、素人にとっては情報を得る機会をいかに確保するかが重要ではないか、といった問いが出されつつ、科学にかぎらずコミュニケーションにおける伝え方の難しさに話が及びました。また、学校などの場でのコミュニケーションの有り様にも言及され、(哲学対話にしても科学コミュニケーションにしても)こどもは自由に考えさせると理由を考えるようになることが窺われ、その意味ではこうした場での対話ないしコミュニケーションの重要性が再認識されました。
全体を通じて、コミュニケーションという視点から、科学と哲学との双方の接続を可能にするような対話の有り様を実感できる、そのようなイベントとなりました。
安部高太朗(UTCP RA研究員)