梶谷真司「邂逅の記録73:第23回国際哲学オリンピック in エストニア(1)」
5月14日から17日まで、エストニアのタルトゥで、第23回国際哲学オリンピックが開催された。タルトゥはエストニア第2の都市で、首都タリンが政治経済の中心であるのに対して、タルトゥは古い大学街でもあり、精神的首都と言われる。その意味でIPOを開催するのにふさわしい地である。
今年は39か国、83人の高校生と70人の教員が参加した。日本は15回目、筑波大付属駒場高校3年生の末岡陽太郎君と神戸女学院3年生の田渕あゆさんが出場した。
二人とも受験生でありながら、しかも時期的にも中間テストと重なっていたりする
中での参加で大変だったと思う。しかし、参考文献として私が薦めたラッセルの
The Problems of Philosophyを移動中も読んでいて、非常に積極的で集中していて
感心した。
今回は、飛行機の接続の関係で開始当日ではセレモニーに間に合わないため、
一日早く13日に日本を発ってヘルシンキまで行って宿泊し、翌日エストニアの首
都タリンへ移動した。日本から行くと時差があって負担がかかるため、その意味
でも1日早く行くのは、哲学のエッセイを書かなければいけない高校生にとって
はいいことだ。
翌14日、昼前にヘルシンキからタリンまで飛行機で移動。所要時間30分という
短いフライトだった。到着すると、IPOのボランティアの人が出迎えてくれた。3
時にIPO参加者のためのバスでタルトゥへ出発。2時間半ほどかかって到着し、す
ぐに教員の会合が行われ、今後の大会の候補地等について話し合った。夕方6時
からは、オープニングパーティーが開かれ、教員も高校生も混ざって歓談し、セ
レモニーでは文部大臣や大学総長の挨拶、各国の代表団の紹介が行われた。宿泊
は高校生、教員とも他の国の人と同室で、私はグアテマラの先生と一緒になった。
2日目、高校生たちは午前中、エッセイ・ライティングをしていて、その間教
員たちはタルトゥ大学の教授、アンドレアス・ヴェンツェル氏とトーマス・ロッ
ト氏の講演を聞いた。続けて評価の方法や基準について議論した。毎年初参加の
先生もいるため、評価を巡っては、繰り返し話し合わなければいけない。このよ
うな基本的なことをそのつど確認するのは、初心に返るという意味で大切だと思
う。
午後はまず大学の見学をした。タルトゥ大学は、1630年に創立された、北欧・
東欧では最も古い大学の一つである。とはいえ、エストニアという国の運命と同
様、政治的にも文化的にも様々な国の影響を受けてきた。開学当初はラテン語で、
その後19世紀末までドイツ語、1919年の独立までロシア語、そのあとエストニア
語による教育が行われた。しかし国家じたいはこの間、ポーランド、ドイツ、ス
ウェーデン、ロシア、ソ連の支配を受けた。
大学の中には小さな博物館があって、そこにギリシャ彫刻のレプリカが所狭し
と並べられている。もともとは本物が所蔵されていたが、ソビエトに接収され、
近年返却されることになったがまだ戻ってきてはいないという。とはいえ、ここ
には、哲学者にとって、きわめて貴重な所蔵品がある。それは世界に2つしか現
存しないとされるイマニュエル・カントのデスマスクである(もともと3つあっ
て一つはベルリン、もう一つは失われた)。
大学見学の後は、市内を流れるエマヨーギ川をクルージング(といっても天気
が悪く寒かったので、ずっと船室でおしゃべりしていたが)をして、そのあと市
内観光をした。夕食では田渕さんと末岡君にも会い、エッセイを書いた感想を聞
いた。二人とも、満足というほどではなかったようで、多少の後悔は残っている
かもしれないが、まったく経験したことがないことでもあり、十二分にやってく
れたと思う。
3日目、教員は朝9時から夕方4時まで、高校生たちが書いたエッセイの審査を
行った。その間、高校生たちは、午前中に大学見学と市内観光を行い、午後は4
つのテーマごとに部屋に分かれて、グループディスカッションしていた。そのあ
との「全体討論」には、私たちも参加することができた。高校生と同じイベント
に参加したのは初めてだった。テーマは「プロパガンダはリベラルデモクラシー
の国で禁止されるべきか否か」で、世界中の若者たちが一堂に会して熱心に議論
する姿を見るのは、本当に心動かされるものがあった。
4日目は、16時までは自由時間で、高校生も教員たちも市内観光をしたり休ん
だりして過ごした。16時から、大学のメインビルディングで表彰式のセレモニー
が行われた。まずヤーン・カプリンスキー氏の「ニーチェの仮説――ウラル・ア
ルタイ哲学は可能か?」が行われ、続いて表彰式。今年は金メダルをハンガリー
とフィンランドの2人が受賞した。銀メダルが8人、銅メダルが6人、その他の入
賞が19人であった。そのあとは、記念撮影をして、市内のレストランに移動し、
遅くまでパーティーで最後の夜を楽しんだ。
日本人の二人は残念ながら受賞を逃したが、同世代の哲学好きの友人と過ごし
たこの4日間は、忘れられない経験となったであろう。教員としても、世界中の
高校生たちが一堂に会して、哲学的な問題に関して議論している姿を見ると、未
来を信じる力が湧いてくる。田渕さん、末岡君と、世界中の高校生に感謝したい。
私もまた、各国の先生たちと親交を深めることができ、様々な課題と希望をもら
った。
文責:梶谷真司(UTCP)