【報告】「共生のための障害の哲学」第15回研究会 共通感覚と「障害」―イブン・シーナー、カント、フッサール
2015年3月10日(火)、「共生のための障害の哲学」第15回研究会「共通感覚と「障害」―イブン・シーナー、カント、フッサール 」が開催された。講演者は 小村優太氏(東京大学IHS)、石原孝二氏(東京大学UTCP)、榊原哲也氏(東京大学人文社会系研究科)の3名であった。
今回の研究会は、UTCP-L2プロジェクト「共生のための障害の哲学」コーディネーターであり、発表者の一人でもある石原氏の呼びかけによって企画された。イブン・シーナー、カント、フッサールという三名の哲学者の「共通感覚」に関する議論を通して、「障害」について考える上での示唆を得るというのが、本研究会の主旨である。
小村氏は「イブン・シーナーにおける生理学と認識障害」と題し、イブン・シーナーの内的感覚論における、五感にまたがる様々な情報を統合する能力としての「共通感覚」、またその損傷としての認識障害のありようを、内的感覚論の発展史を踏まえつつ提示した。
石原氏は「共通感覚と精神障害―カント哲学とスウェーデンボリ」と題し、カント哲学における精神障害の取扱いの変遷と、その中での「共通感覚」の位置づけについて取り上げた。カントにおいて、精神障害は最終的に「共通感覚」の欠如状態として捉えられるが、この「共通感覚」は、動物的な生の統一をもたらすと同時に、他の人間との理性的対話を開く能力として描き出されている。
榊原氏は「フッサールの共通感覚論―〈われと汝〉と〈われわれ〉の問題群をめぐって―」と題し、ケアや臨床実践に関わる語りの中で浮かび上がってきた、同じ方向を目指して共に歩もうとする一人称複数〈われわれ〉の相互関係のありようについて考察し、その中でフッサールの共通感覚論について取り上げた。ここで「共通感覚」は、コミュニケーションする人々の間で、すでに受動性の次元において働いている、共通の感覚世界を皆の感覚器官によって経験するような感性と持続的統覚として描き出されている。
このような三者三様の共通感覚論を踏まえて、フロアディスカッションにおいては、「共通」に託された意味合いの差異や、具体的な臨床実践におけるコミュニケーションのあり方との関連についての議論がなされた。通常は比較的実践寄りのテーマが多いL2研究会だが、今回は概念史的な考察を臨床実践に関する話題に接続していく議論が展開された点でユニークな会となった。
報告:筒井晴香(UTCP)