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【報告】ダンラップ梨佳氏研究発表会"'May I Hope?' Rather Than 'What May I Hope?'"

2015.02.05 中島隆博, 星野太

2015年1月6日(火)、東京大学駒場キャンパスにて、ダンラップ梨佳氏(ハワイ大学哲学科博士課程/東京大学東洋文化研究所訪問研究員)による、“‘May I Hope?’ Rather Than ‘What May I Hope?’”と題した発表が行われた。このイベントの様子について、ダンラップ氏より、次のようにご報告いただいた。

2015年1月6日、カントの『判断力批判』と希望に関する発表をさせていただきました。UTCPとは、母校であるハワイ大学との夏季合同セミナーで縁があり、昨年の10月から訪問研究員という立場で東京大学に四ヶ月ほど籍を置くことになりました。その期間の終盤に、こうして博士論文の経過発表をする機会を設けていただき、貴重なご意見を賜りました。ありがとうございます。

今回の発表は私の博士論文の一章でもあり、論文の主題である「希望とは何か?」という問いに対して、カント哲学をヒントに思索する試みです。カントが自ら示した理性の問題を四つ挙げています。

(1) 私は何を知ることができるのか?
(2)私は何をするべきなのか?
(3)私は何を希望しても良いのだろうか?
(4)人間とはなにか?

カントは自らの哲学はこれらの問題に対する回答だと断言しており、希望は三番目の問題に出てきます。しかしながら、カントの希望に関する問題は「何を希望しても良いのだろうか?」という希望の内容に関する問題提起であり、「希望とは何か?」という問題を直接に取り扱ってはいません。さらに、第一の問題、第二の問題には、それぞれ『純粋理性批判』と『実践理性批判』が与えられているのにもかかわらず、カント自身は第三の問題の答えを宗教哲学に委ねており、第三批判である『判断力批判』の役割が理性の問いに対してどのような役割を果たすのかは明確には示されていません。本発表では、『判断力批判』が第一批判と第二批判をつなぐ「架け橋」であることに着目し、「希望とは何か?」という問いに間接的な答えを示しているということを論じました。

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カント哲学を語ると、どうしても専門的な話が多くなり、カント学をしているのか、哲学をしているのかわからなくなることがあります。今回の発表でも必然的に専門的な話が多くなり、コメンテーターである星野太さん(東京大学)に「希望との関連をもっと語って欲しい」とコメントをいただきました。私は希望とは「理想と現実を調和させる力」であると考えております。そして、カントの『判断力批判』は「まるで……のように見える(確証はないが)」という言葉で、 最高善に基づいて世界を捉え直す作業を語っており、希望の生まれる過程を示しているのだと解釈しています。そこで重要になってくるのが、最高善とはあくまでカント哲学における理想であり、現在を生きる私たちが描く理想とはずれているのではないのか?という点です。そして、カントが意図する最高善の裏には神の存在が仮定されていることも見逃せません。つまり、カントがいうところの「人間の理想」は画一的であり、多様性が重視されている現在には、理想の多様性とその課題も語られなくてはいけないと考えます。この発表のタイトルを “‘May I Hope?’ Rather Than ‘What May I Hope?’”としたのは、価値や理想の多様化に伴い、何を希望するかという問題はあまり重要ではなくなってきていると同時に、「そもそも希望を持つことができるのだろうか?」という根本的な問題を解決しなくてはいけないという思いからです。カントは目的論的世界観に基づき、理想と現実世界を反省的判断力が調和させることによって希望を描いていきます。しかしながら、カントが考えるような確固とした理想(最高善)が失われた時、希望はどうなってしまうのか? 今回の発表で、 川村覚文さん(UTCP)が「希望はそもそも必要なのか?」という問いを投げかけてくださいました。その質問の真髄は、価値観や理想の多様化に伴い、画一的な理想が奪われた時、希望も同時に消滅するのか?という問題に繋がっています。それを語る上で、やはり「希望とは何か?」という問題を再び議論する必要があると実感しました。

報告:ダンラップ梨佳(ハワイ大学哲学科博士課程)

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