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【報告】Surprised by Shinto

2015.01.06 中島隆博, 石井剛, 佐藤空, 小林康夫, 高田康成

オハイオ州立大学のトマース・カスリス教授の講演は12月15日に予定通り実施された。カスリス教授はUTCPの教員と旧知の仲ということもあり、非常に和やかな雰囲気の中、講演とそのあとの質疑応答が進んでいったと記憶している。

その講演内容は以下の通りである。カスリス教授はまず、ご高著 “Shinto―the way home” 執筆の背景について紹介することから講演を始めた。教授によれば、これまで神道について書かれた本のほとんどが、「神道と政治」、「民族宗教としての宗教」、「儀式と祭り」、「神道と自然主義」といった特定のテーマに沿って書かれたものであった。比較宗教についての文献では、神道はネイティヴ・アメリカンやオーストラリアのアボリジニー、あるいはアフリカの民俗宗教のような「原始」宗教として取り扱われてきた。また、日本の学会が出版する日本語の文献は「国学」の伝統から出てきたものであった。それに対して、今回出版された本は、神道は国学的要素がなくした場合、全体として何であるといえるのか、哲学的観点からどのように見ることができるのか、特に他の宗教と比較した場合の特徴を分析することを目的としていた。

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 カスリス教授は、次に日本人一般の宗教性に対する問いを投げかける。日本人に、「あなたは神道を信仰していますか」と尋ねると、ほとんどの人が「私は神道の信者ではありません。私は、無宗教です」と答えるという。だが、彼らは、新年になると神社にお参りに行くし、七五三のために神社に行き、また神社で結婚式をすることもある。このような行いを習慣としている人々が果たして、神道を信仰していないと言えるのか、またそのような否定をするのは一体なぜなのか。

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 カスリス教授によれば、宗教的なアイデンティティには「存在論」的なものと「本質論」的なものと2つある。「存在論」的なアイデンティティとは、「叙述的な」ものである。すなわち、「私はx, y, z という行いをし、これらは神道と結びついているから、それゆえ私は神道を信仰しているといいうる」というものである。一方、「本質論」的なアイデンティティとは、「規範的」なものである。すなわち、「私は神道を信仰しているので、したがって私はx, y, z をするべきであり、これは私が神道の信者であることを意味している」というものである。そして、「私が神道を信仰していない」と日本人が言うとき、彼らは本質論的な意味で神道の信者ではないが、存在論的な意味では私は神道の信者であるかもしれないということを意味している。

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 カスリス教授はさらに、この神道についての日本人の感覚と経験について、現象学的な視点から考察する。日本人―例えば、サラリーマン―が近所の神社を参拝するというような経験は一体何を意味するのだろうか?ユダヤ教、キリスト教、イスラームなどの宗教との違いは何であろうか。カスリス教授によれば、これを考察する上で重要となるのは、日本人が持つコミュニティ(地域社会)や自然や国家に対する強い帰属意識であって、神道を実践することで得られる経験もこの関係性 (rational) が重要になる。それは、序列的なものではなく、むしろ「全体論」的なものである。日本人と神道にある関係性とは、自らがその一部となる関係であり、他の宗教のような自身が外にあるような関係性ではなかった。この「内部的な関係性」においては、諸部分が全体であり、それが全体をつくる結合部を必要とする「外部的な関係」とは異なっていた。

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 つづいて、カスリス教授は神道の歴史について概説した。それによれば、神道の歴史は五つの段階に分類することができる。一つ目は「原始神道アニミズム」の段階であり、それは文字を使用する以前の日本への中国からの訪問者、考古学的な証拠などからのみ説明できるもので、ここにおいて、アニミズムや古墳などの社会的階級の始まりをみることができる。次の段階は奈良時代にあり、天皇を頂点にして形成された国家は仏教や、原始神道、儒教などによって支えられていた。この時期に成立した『古事記』と『日本書紀』は重要であり、それは神話的な基礎を築くものであった。歴史的な第三段階は、奈良時代後期であり、密教の到来もあって、神道と仏教が融合されていった。この時期には、哲学的にも洗練された思想が生み出された。14世紀になると、南北朝時代を生きた北畠親房が皇位継承の問題に取り組む中で、その皇位の宗教的基礎を再度確定させた。この南北朝時代から神道の歴史における第四段階が始まる。渡会神道と吉田神道という神道思想の二大学派が現れたことによって、神道の教義はより複雑かつ洗練されたものとなった。江戸時代後期になると、本居宣長と平田篤胤といった人物が現れて、神道の歴史の第五段階を形成する。本居は『古事記伝』を完成させ、国学を大成させて大きな影響力をもった。平田篤胤は本居宣長の後継者として国学を継承、その政治思想をも発展させるにいたる。しかし、その思想は19世紀の国家神道によって取って代わられることとなった。明治憲法は信仰の自由を保障する一方で、靖国神社は初め、東京招魂社として創建されたあと、1879年に現在の名前に改称された。天皇のために死んだ人々の魂がそこで祭られることになった。カスリス教授は靖国神社とそこに関わる思想についても言及した。また、教授は現在においても、人々の「神道」的行動や感情と国家神道の間に混同があることについても指摘された。

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 講演に引き続いて行われた質疑応答も、終始和やかな雰囲気で進行した。UTCP の教員や大学院生からの質問に対して、丁寧に応答するカスリス教授の姿が印象的であった。報告者が海外にいた経験からすると、欧米でもアジアでも日本のサブカルチャーが今日、海外で広く認知されているのに対して、日本の伝統的な文化や歴史(サムライ、神道、伝統的な食生活など)はまだまだ、軽い偏見程度にしか認識されていないように思われる。日本人はカスリス教授のような日本研究者と協力しながら海外の人々に対して日本の歴史と伝統的な風習、宗教について、もっと積極的に紹介する機会をつくる必要があるのではないだろうか。東日本大震災の際に、スコットランドからの支援を最初に始めたのは、日本の大学に長期留学した経験のある地元スコットランドの若者たちであった。彼らは自らの日本での滞在経験と日本についての知識から真っ先に行動を起こしたのであった。カスリス教授とUTCPの教員との交流を見ながら、報告者はそのことを思い出し、学術的な交流が人的な結びつきと自然に融合し、それがいずれ、かけがえのない意味と効果を持つことを再確認した。

(報告者:佐藤空)

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