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【報告】第一回「思考のブリコラージュ――現代・フランス・哲学」

2015.01.14 佐藤空, 栗脇永翔

「点・線・面」というフレーズが頭に浮かぶ――。ロシアの画家・カンディンスキーの著作を思い起こしてもいいし、より個人的には、いまの学科に進学して最初に受けたオムニバス授業のテーマが「点・線・面」であった。

まず最初に「点」が打たれ、ふたつの点の間に「線」が引かれ、そして3つの点が「面」を形成する。それゆえ逆に言えば、やはり最初の点の打ち方こそが肝要なのであり――バルトの「プンクトゥム」を思い起こしてもいいかもしれない――、その後はこの点との関係がいかに「保持」されるかが問題となるように思われるのである。

去る1月7日(水)、リヨン第三大学で講師を務めるレティシア・シトローエンさんを招きワークショップを開催した。まずはその「経緯」――ここでもやはり「線」が問題となる――を簡単に説明しておこう。今年度、報告者は二度フランスで研究発表をする機会を得たが、レティシアさんとはその二回の研修を通じて交流を続けてきた。ただし、彼女は必ずしもそれぞれの研修のメインの交流先――リヨン高等師範学校のエリーズ・ドムナック先生のゼミ(9月)、パリ高等師範学校のドミニック・レステル先生のゼミ(11月)――に属する研究者ではない。昨年までUTCPの研究員を務めていた内藤久義さんの昔の知り合いの娘で「たまたま」哲学を研究しているノルマリエンヌ――「ブリコラージュ」というフランス語は語源的に偶然性を含意する――ということで研修中発表を聞きに来てもらったり、何度か食事をすることで交流を続けてきた研究者である。今回は親戚を訪ねて来日するということで、その機会を利用してUTCPで発表をお願いした次第である。

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レティシアさんの専門は経済思想史で、現在は博士論文に向けて「税」(impôt)の哲学を構想している。今回の発表では、ルソーの『社会契約論』や『政治経済論』に見られる税の扱いと「一般意思」や「社会契約」等の概念との関係を確認した上で、ハイエクやジュヴネルの著作を手掛かりに、民主主義を実現するはずの税制度がともすれば国民を統治する国家の道具として機能してしまう、という「両刃の剣」としての税の二面性に着目する哲学的考察がなされた。『社会契約論』という古典のうちに税という新鮮な切り口を見出した点、税が徴兵制の問題と結びつけられ「犠牲」の問題系と結びついていく点等、個人的には興味深く発表を聞いた。

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30分ほどの発表に対し、まずはディスカッサントをお願いした佐藤空さん(UTCP・PD研究員)から15分ほどコメントを頂いた。18世紀イギリスの社会思想・政治思想・経済思想を専門とする佐藤さんからは、レティシアさんの発表が位置づけられる歴史的・思想史的コンテクストを補う説明がなされた上で、出発点として置かれたルソーの思想をいかにその後の思想史、さらには現在の状況と関係づけるかといった質問がなされ、レティシアさんからも応答がなされた。当日の聴衆はかならずしも経済思想になじみ深い人ばかりではなかったが、このやり取りで文脈がクリアになり、その後の討論にスムーズに移行できたことは会としてうまく行った点であったように思う。

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佐藤さんのコメントに続いて行われた全体討論では、フランスにおける税と移民の関係、税制度をめぐる「利己心」「利他心」さらには「共同体」の問題、都市計画と災厄、(増)税の関係、税の多様性や税を払わない人々をいかに扱うのかといった問題等に関し、聴衆から自由なコメントや質問が投げかけられた他、そもそもフランスにおける「共和制」をいかに考えるかということがひとつの争点となることや、「ひょっとしたら将来、空気にも税がかかるかもしれない」といったともすればSF的な――しかしながら実際には深刻かもしれない――問題が指摘される等、活発に意見交換がなされ、予定終了時刻を20分ほど延長する盛会ぶりだった。

最後に、この会がすべて日本語で行われたことも記録しておかなければならないだろう。ハーフである彼女にとって日本語は全くの外国語というわけではないにしても、困難な翻訳作業が要求される哲学の原稿を用意し、読み上げるというのはそれなりに骨の折れることであったと思う。この場を借りて改めて感謝の気持ちを伝えたい。とりわけ、すべての質問に対し十分な仕方で日本語で応答していた姿には感銘を受けた。今後報告者が英語やフランス語等、外国語で発表する際に見習いたい姿勢である。

海外の研究者との交流においては――あるいは、そもそも「他者」との交流においては――ひとつひとつの点を大切にしつつ、線を保持する不断の努力が求められることは言うまでもない。(こうした問題を考えるとき、例えば『彼自身によるロラン・バルト』に挿入された「特権的な関係」を巡るフラグメントは極めて示唆的――というよりは個人的には魅力的――であるように思われる。)こうしたことを念頭に置きつつ、今回の発表は「思考のブリコラージュ」というレクチャー・シリーズの枠内で行ってもらった。一度の講演で関係を終わりにするのではなく戻ってきてもらう「場所」を作ること、あるいはこの場所で新たな「点」を打つことを目標としている。

それゆえ、レヴィ=ストロースの『野生の思考』から着想を得た名称を掲げるこのレクチャー・シリーズは今後も継続していきたいと考えている。例えば、レヴィ=ストロースは「科学者が構造を用いて出来事を作るのに対し、ブリコルールは出来事を用いて構造を作る」と書く。こうした言葉はそもそも決まりきった構造等存在し得ない「哲学」や「対話」、さらに言えば「思考」そのものを問い直す際に何らかのヒントを与えてくれるのではなかろうか。

こうした場所を保持するためには様々な「配慮」が求められるであろう。報告者にそれだけの能力があるかはわからないが、出来る限り、頑張ってみたい。

文責:栗脇永翔(UTCP/東京大学大学院博士課程)

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