【報告】ロベルト・メッツィーナ講演会
2014年11月16日(日)、東京大学駒場キャンパス900番講堂に於いて、ロベルト・メッツィーナ氏(トリエステ精神保健局長・WHOメンタルヘルス調査研修コラボセンター長・精神科医)による講演が行われた。
司会は、大熊一夫氏(180人のMattoの会代表・ジャーナリスト)、伊藤順一郎氏(同会副代表・精神科医)、通訳は松嶋健氏(国立民族博物館・医療人類学者)であった。
講演当日、約600席ある会場はほぼ満席となった。大熊氏が親愛の意をこめて「ロベルト」と呼びかけるなど、和やかな雰囲気で講演会が始まった。ロベルト・メッツィーナ氏は1978年、トリエステ・サンジョヴァンニ病院に就任し、以後、同病院の脱施設化や、病院に代わるコミュニティ・サービスの発展に尽力してきた(「むかしMattoの町があった」自主上映運動2周年記念講演会パンフレット)。同病院の当時の院長は、イタリアの精神医療の改革の父、故フランコ・バザーリアである。バザーリアは、イタリアにおける精神病院の廃止に向けて1961年から病院長として活動した精神科医である。実際に1980年、イタリアでは精神病院が完全機能停止となった。精神病廃止を定めた、イタリアの精神医療・福祉に関する法律「180号法」は、「バザーリア法」ともいわれている。メッツィーナ氏は、バザーリアの思想を引き継いで、精神医療の分野で国際的に活躍している人物である。本講演の中心となったお話は、イタリアの精神医療改革の概要と、それを牽引したバザーリアの思想についてであった。
トリエステは、イタリア共和国北東部、旧ユーゴスラビアの国境に接する都市であり、アドリア海に開けた港街である。精神病院が閉鎖されたのち、トリエステには地域精神保健サービスを担う精神保健局ができた。精神保健局は、4か所の精神保健センター、総合病院内の6床の精神科ベッド、居住サービスなどによって成り立っている。さらに、4つの精神保健センターは、それぞれ住民約6万人の精神保健に対する全責任を負っている。責任を持つというのは、病気の重い軽いに関係なく、365日24時間、センターに来る人を拒まないということ、必要とされているニーズを職員側から探しに行くということを意味している。センターでは、利用者がなにをしたいのかを言える環境をととのえ、サービス提供者ではなく、利用者が主体となってサービスの内容が決められるような体制を重要視している。
そもそも、なぜバザーリアは精神病院の廃止を唱えたのだろうか。それは彼が、精神病院は、人間を「モノ化」、「客体化」する空間であると考えたからである。バザーリアが見た当時のイタリアの精神病院では、患者は、病院に入ることで社会的な関係から切り離され、入院後には病院内の規則や拘束・隔離などの方法によって医師や職員に管理されていたのである。精神病院という空間では、医師と患者との間にコントロールする/されるという強い非対称的な関係が成り立っていたのである。バザーリアは、患者の「生きた主体性のある身体」にアプローチする場所として、精神病院という収容所は不適当だと考えたのである。
メッツィーナ氏によると、精神病院の代わりにつくられた地域精神保健センターは、あくまで「歓待の場所」であり、そこでは「信頼関係作り」そして「ネットワークの構築」が重要であるという。スタッフが利用者の人生のクライシスや苦しみと向き合い、それらが本人にとってどのような意味を持つのかに耳を傾けることで、信頼関係は構築されていく。多くの場合、利用者と社会のネットワークは断絶されているため、関係性のネットワークを再構築していくことが、利用者の社会的孤立を阻止する手段になるのである。また氏は、家族の問題に取り組むことも、利用者のリカバリーには不可欠であることを示した。家族の苦しみを聞きその問題を政策に反映させることで、再び利用者が危機に陥った時も、よりよい対応が可能になる。責任を利用者、家族、スタッフで共有することで、地域精神保健は円滑に機能すると考えられるのである。
最後にメッツィーナ氏は、地域精神保健システムを航海に例えて、〈様々な関係性を築き、コミュニティという船を作り、その中で人生を利用者たちと共に航海していくこと〉がスタッフの仕事であると締めくくった。精神病院廃絶から30年以上たった現在、トリエステでは強制治療数は1年に20件程度になり、過去20年間で自殺は半分に減少している。利用者が司法精神病院に送られたことは一回もないという。氏によると、制度を単に変えるだけでは、利用者の主体性を取り戻すのに十分ではないのであって、脱施設化を進めるだけでなく様々な人を巻き込んでネットワークを築き、生活の全体に対するケア、コミュニティ全体に対するケアのシステムを構築していくことが必須であるという。人生の危機をリカバリーへのチャンスと捉え、そしてそのクライシスを日常生活の中で解消していく試みを実践されてきたメッツィーナ氏の言葉は示唆に富み、講演は非常に意義深いものであった。
日本では1950年代から、予防医学や地域精神医学という言葉が現れ、専門家によって地域精神保健システム向上の必要性が主張されてきた。講演を聴きに来た方々の中には、地域精神保健システムに改善の余地があると考える人々もいたようで、システムや制度を日本で変えることへの難しさ、改革へ向けて何が必要かという質問が多く聞かれた。例えば、①日本は地域精神保健や福祉サービスに関しては後進国であると感じるが、日本がイタリアのようになるには、どれくらいの時間がかかると思うか、②日本では、事件が起こった時に警察が適切に対応してくれないと感じるが、イタリアではどうか、③日本の医師や行政は、「もし患者が傷害事件を起こしてしまったらどうするのだ、どう責任をとるのだ」と考える場合もあると思うが、最悪の事態をおそれる気持ちとどう戦っていけばいいのか、といった質問が挙がった。メッツィーナ氏は、①の質問に対して「わからない」と率直に答え、会場からは笑いがおこる場面もあった。
氏の回答に一貫していたことは、一つの機関に対応を任せきりにせず、ワークショップを開催したり、話し合いの機会を設けたり、スタッフが現場に立ち会ったりして、関係性を作っていくという点であった。病気の症状への処置ではなく、人生の苦しみに対応できる方法を探るという視点の転換を行い、それを政策に反映させることが大事であることを強調されていた。バザーリアは、精神病院という施設の中で奪われた患者の主体性をもう一度本人に返すために尽力してきた。この思想を引き継ぎ活動されてきたメッツィーナ氏の更なる国際的な活躍を期待したい。
(報告:高崎麻菜・山田理絵)