【報告】2014年度東京大学-ハワイ大学夏季比較哲学セミナー(2)
引き続き、2014年8月に行われたハワイ大学と東京大学の比較哲学セミナーについての報告です。今回は、セミナー2回目と3回目の講義に関して釣田いずみさんに報告してもらいます。
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セミナー2回目
2014年8月5日(火)、ハワイ大学マノアキャンパスにおいて第3回University of Tokyo – University of Hawaii Summer Institute 2014 の2日目の講義が行われた。
午前9:00-11:00は、東京大学の梶谷先生がBasis for Goodness and Badnessというテーマについて、映画『Collateral』のシーンを題材に議論を進めた。犯罪行為に巻き込まれていくタクシーの運転手が、気が動転した状態でその行為について問題提起をする一方、巧みな話術を通して犯罪行為について自論を展開する犯罪者の会話を通して、善悪の判断は、個人・文化・国などが持つ道徳・感覚・知識によって異なり、理論や事実ではなく直感や感情で行われる傾向があるという議論が交わされた。
映画の会話を丁寧に分析し、善悪に関する異なる意見を出し合い、多様な見解を共有していくというプロセスは感慨深かった。映画の犯罪者は殺し屋なので、社会通念に基づいて単純に判断すれば、その行為を悪と判断できる。しかし、そこに至るまでの経緯や後から付け加えられる正当化のプロセスは、犯罪者自身だけでなく、犯罪者と被害者を取り巻く周辺環境によって複雑化していくので、それに基づいて判断しようとすると情状酌量の余地が出てくる。ここまでは納得できるが、議論の中では、そうした周辺環境を超えて、別の国で起きた全く別の大量虐殺などが善悪を判断する上での比較要素として扱われていたため、混乱してしまうこともあった。梶谷先生が最後に紹介して下さった、知識と行為の個人的で主観的な関係性については、この混乱を和らげるものでも深めるものでもあり、消化していくには時間がかかりそうだ。
午後12:00-14:00は、ハワイ大学の石田先生が和辻哲郎の『風土』のイントロを紹介した。一般的に『風土』はclimate and cultureと英訳されているが、本講義ではclimaticityという言葉が使われた。『風土』の批判対象になっている文化的視点ではなく、人間の存在は時間(歴史性)に加えて空間(風土性)によって根本的構造をなすといった哲学的視点に注目するためである。
時間(歴史性)を横軸、空間(風土性)を縦軸に記した石田先生の図は、一瞬、xとy軸を連想してしまい戸惑ったが、横軸はfiniteだが縦軸はinfiniteだというコメントによって、和辻の視点が見えてきた気がする。今この瞬間、自分は縦軸と横軸が重なっている部分にいて、ハワイ大学で授業を受け、そこには時間が刻まれると同時に、その周りにはハワイの土地・文化・社会・気候などが重なりあっているという状況に、厚みを感じることも出来た。日本語と英語の文章を並行して読み比べ、その内容の解釈だけでなく、翻訳内容についてもその場で議論するという作業は、今迄経験したことのない授業のスタイルで刺激的であった。
セミナー3回目
2014年8月6日(水)、ハワイ大学マノアキャンパスにおいて第3回University of Tokyo – University of Hawaii Summer Institute 2014 の3日目の講義が行われた。
午前9:00-11:00は、ハワイ大学のAmes先生がAn Interpretive Context: Overcoming an Asymmetry in our Reading of Classical Chinese Texts (Bodyheartminding (xin心): Reconceiving the Inner Self and the Outer World in the Language of Holographic Focus and Field)について取り上げた。儒教・仏教などを中心にしたアジアの思想は、個人主義ではなく自然や社会の環境との関係性に重きが置かれていることが、道・徳・自然・仁・心・勢などの概念とともに紹介された。また、中国の変化しつつある生活様式と価値観などが議論の対象になった。
Ames先生は、儒教のみならずカメハメハ学校の創設経緯やT.S. Eliotの文章を紹介する中で、家族や社会、そして、その周辺にある文化や歴史が、正義と正義を行うこと(思想と行動)に反映されていくと説明した。ふと、自分の周りを取り囲んでいる環境が、自分の思考回路や行動にどのように影響しているのかを考え、物思いにふけってしまった。今後、Ames先生の授業は、与えられたテーマの漢文とその英訳についてグループで事前に話し合い、解釈・翻訳・論点をグループ毎に発表する形式になると伝えられた。すっかり忘れてしまった漢文を読み解くことに不安はあるものの、ハワイ大学の学生と意見を直接交換できることはまたとない機会なので、真剣に取り組んでいきたい。
午後12:00-14:00は、東京大学の中島先生によるTianxia as a Place of Chinese Universality: Contemporary Debatesというテーマで講義が進んだ。講義では、中国における「天」の哲学的・歴史的文脈についてSima Qian、Takeda Taijun、Zhao Tingyang、Xu Jilinなどの思想をもとに検討した。中国の思想は多様であるため単純化できない一方で多様性が共有されているということが、中国における普遍性の概念を考えていく上で議論された。
「天がHeavenだとすると、どうしても死後の世界である天国を連想してしまう」と発言した際、先生に「お天道様」というヒントを頂いたことで、天下・天地・天命など様々な概念に取り込まれている天は、東洋思想の世界観において不可欠な要素だと知ることが出来、その後の講義が分かりやすくなった。西洋の科学や思想に対抗するのではなく、古人の知見を参照しつつも新たな知見を吸収していくという現代の中国の思想は、目まぐるしく変化している現代に柔軟に対応していくうえで不可欠で、天という概念の可能性を感じさせられた。
授業の後、ハワイ大学近くのKIRINでWelcome Dinnerが行われた。参加者は中華料理を囲みながら、講義の内容や研究対象分野などについて和気藹々と話し合った。東洋思想を学んでいる学生が多いためか、それとも、ハワイにアジアの食文化が混ざっているためか、どちらか分からないが、ハワイ大の学生はお箸を器用に使う。ベジタリアンやヨガを実践している人もいて、授業だけではなく、何気ない会話の中でも、今の自分の生活スタイルについていろいろと考えさせられてしまった。
文責:釣田いずみ(東京大学大学院)