【報告】2014年度東京大学-ハワイ大学夏季比較哲学セミナー(5)
引き続き、2014年8月に行われたハワイ大学と東京大学の比較哲学セミナーについての報告です。今回は、セミナー6回目と7回目の講義に関して栗脇永翔さんに報告してもらいます。
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台風が去り、ハードなハイキングが終わり、セミナー6回目の12日と7回目の13日は通常の授業モードに戻った。少しずつ英語の授業にも慣れてきて、個人的には、全スケジュールを通して最も授業に集中できた2日間であった。
インスティチュート全体を通し、報告者は《身体の哲学》という主題に改めて関心を抱くようになったが、こうした関心が固まったのもちょうどこの頃である。とりわけ、広い意味で「現象学」を扱う梶谷先生と石田先生の授業からは報告者の研究に直接的に関わるヒントを与えられたように思う。
梶谷先生の授業では、「身体と感情の現象学」を掲げるヘルマン・シュミッツの哲学が紹介されたが、これは《感情に襲われる》という契機から出発して、価値判断から倫理・芸術・宗教まで幅広い問題系を考察する壮大な哲学である。別の言い方をすれば、具体的な身体経験から出発して世界を説明しようとする試みであろう。休み時間には、シュミッツがヒトラーに関する問題含みの著作を著していることや、しばしば報告者が研究するサルトルにも言及していることをご教授いただいた。
石田先生の授業で扱われた和辻哲郎は、時間偏重のハイデガーに対し「風土」という空間概念を導入することで独自の歴史哲学を展開したことが広く知られているが、授業では、風土がしばしば「身体」や「肉体」という比喩で説明されていることが指摘された。授業中には、既存の英訳の綿密な検討も行われたが、風土を説明する際に用いられる「肉体」という表現を、通常の用法からは逸脱するものとして、例えば「FleshTM 2.0」と訳してみてはどうかと比較的自由な提案がなされる等、終始和気あいあいとした雰囲気で授業が進められた。
あるいは中島先生の授業では、唐君毅の議論を手掛かりに「間主観性」に基づく「新しい普遍性」の可能性が模索されたが、その際には、こうした「心」に基づく間主観性を考える際、身体の問題はいかに考えることができるのかという質問をする機会を得た。中島先生からは、中国思想の文脈では、必ずしも西洋的な心身二元論はなく、両者は密接につながるものとして考えられていることや、例えば孟子など、「共感」を重視する思想家においては身体から出発しての普遍性の探求が行われたと考えることも出来るのではないかという返答を頂いた。
これらの授業から想を得て、最終日には「まなざし・羞恥・可傷性――ジャン=ポール・サルトルと身体の哲学」と題された短い英語の発表を行ったが、プラグマティズムにも造詣が深いAmes先生からはアメリカの美学者リチャード・シュステーマンの近年の仕事を紹介を頂く等、有益なアドバイスを頂いた。
報告者にとって、3週間もの時間を英語圏の大学で過ごすのは初めての経験であった。反省点も多いが、今後の研究の糧になることは間違いない。
文責:栗脇永翔(東京大学大学院)