2014年度東京大学-ハワイ大学夏季比較哲学セミナー準備会(1)
2014年8月、東京大学はハワイ大学と共同で夏季比較哲学セミナー(UT-UH Summer Institute)を開催しました。第1回目の2012年はハワイ大学で、第2回目の2013年は東京大学で、そして第3回めとなる今年2014年は再びハワイ大学で行われました。このブログでは、そのセミナー開催に向けた準備会の様子を数回にわたって報告します。第一回目の勉強会は、UTCPの梶谷真司氏の論文をもとに、二回に分けて議論を行いました。
7月1日(火)
7月1日(火)の準備会では、梶谷真司氏の論文「媒介者としての感情——シュミッツ現象学から見た感情の意義——」と「神の唯一性と多様性、および宗教的なものの可能性——シュミッツ現象学の視点から」を検討した。5名が参加し、神戸が論文についての報告を、清水が司会を担当した。
英語で勉強会をするのは初めてという参加者も多く、また、初対面となる参加者もいたため、自己紹介しあうことから始め、議論も終始和やかに進められた。
梶谷氏の論文は、ドイツの現象学者ヘルマン・シュミッツの、「感情」についての議論をめぐるものであった。シュミッツにおいては、感情は、空間性を持たない心的な出来事ではなく、ある種の空間性をもち、身体へと襲いかかるような力であると規定されている。論文「媒介者としての感情」では、そのような感情が個人性と共同性、また主観性と客観性を媒介するものであることが示され、また、そのような特性ゆえ、倫理的判断の根拠として機能していることが指摘されている。また、論文「神の唯一性と多様性、および宗教的なものの可能性」では、宗教もこうした感情から規定されることが示され、通常宗教とはみなされないが「神的なもの」と呼ぶことができるような事柄の可能性が提示されていた。
ディスカッションでは、そもそも「感情」についてのシュミッツの規定は有効であるかという点について吟味したほか、倫理的判断を支える法感情として、論文中で提示されている「憤怒」「羞恥」の二つで十分であるか否かという点や、シュミッツが「神的」と呼ぶような絶対的な雰囲気とそうでない雰囲気にはどのような違いがあるのかという点をめぐって、議論がなされた。現象学を専門とする学生がいなかった分、かえって、それぞれの経験にもとづいた具体例を挙げながらの議論となり、論文で示された論点についての理解が深まったように思う。シュミッツの「感情」規定はユニークなもので、いまだ十分に把握できたとは言いがたいのだが、ハワイ大学での講義で、さらに理解と議論を深めることが期待される勉強会となった。
(文責:神戸和佳子)
7月13日(土)
7月13日の勉強会には、私尹が報告者となり、川村さん司会のもと、城間さん、姚さん、釣田さんが参加してくださいました。今日私たちが議論した文章は、梶谷先生が書かれた『媒介者としての感情』と、『神の唯一性と多様性及び宗教的なものの多様性』でした。
論文に書かれてあった主な内容は、シュミッツの現象学に基づき、感情が空間を介して人に伝わる特徴を説明していました。シュミッツは、感情を空間的なものとしてみなしました。サッカー場の熱い雰囲気や、葬式の沈鬱な雰囲気などは我々に自然と伝わってくるように、感情というのはただ内面だけでとどまらず、その場で誰にでもつかめるような形として共有される。そしてその時の情緒というのは人間にとって世界との関わりの根本的な契機として働くという内容でした。
2部は、1部から話した感情の主観性と客観性を通して神という概念をとらえようとします。シュミッツにとって宗教において本質的な要素は神自身ではなく、神的なもの。そして神的なものは、雰囲気として現れるとシュミッツは見ました。ここで彼がいう神的なものというのは、「襲い掛かる力としての感情である雰囲気が神的なものとなるのは、その威力が当事者にとって絶対的な切実さを持つ場合である」そしてここでいう切実というのは、その感情の威力が経験した人にとっては平然に距離をとって打ち勝つことができないほど強烈で、従わざるをえないという意味でした。つまり神という概念は、圧倒的な威力を帯びた雰囲気を、神的なものを神に移行することで客観化し、かかわりあいやすくしたものだというのがシュミッツの説明でした。
すべての議論は英語で行われ、自分の考えを英語でまとめて発表する練習にもなりとても有意義でした。中国出身の姚さんは、中国の儒教についての知識を加え自分の意見を発表してくれました。このように、各自の研究分野が各々異なっていることからもっと豊富な議論ができたような気がしてとてもいい勉強会になりました。しかし、資料の文章は日本語で書かれており、英語で議論するときに特定の概念を英語でどう訳せばいいのかという問題に直面し、ハワイに行ってからこの壁をどう乗り切るかが課題なのではないかと思いました。
(文責:尹美来)