Blog / ブログ

 

【報告】 ドミニク・レステル氏講演会 "Penser velu. L'animalité du point de vue de la deuxième personne"

2014.05.12 小林康夫, 山岡利矢子

去る2014年2月19日、東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室にて、ドミニク・レステル氏の講演会「Penser velu. L'animalité du point de vue de la deuxième personne(毛ものになって思考する。二人称から見た動物性)」が行われた。氏は、フランスの哲学者かつ動物行動学者であり、現在パリ高等師範学校の准教授として教鞭を取っている。氏の研究テーマは「動物・機械・亡霊」であり、過去にはUTCPで2008年2月に「動物性と人間性」、同年6月に「理性と生のあいだ」という二つの講演を行った。今年6月には、連続シンポジウム第4回『はみ出した人間L'homme débordé』 を開催予定である。

講演会のタイトル「Penser velu(毛ものになって思考する)」とは、思考が単にテクストからではなく、肉体や生命と伴に生成することを意味する。(なお、二人称において動物と人間が相互に構成し合う(君が私になり私が君になる)というレステル氏のフィクション的思考から、Penser veluを「毛(に覆われた)ものになって思考する」とここでは訳す。)さらに「二人称から見た動物性」とは、人と動物が「対面confrontation」することの内に、動物性を見出すことを意味するという。古来より、ヨーロッパ的思考とは、プロメテウスの神話において、動物との関わりで、人間に火と技術が与えられたことから分かるように、人間と動物との関係を根本的な差異とする。しかし、レステル氏によると、むしろ大切なのは、人間と動物の近接や収斂について思考することである。今回の講演では、氏は自らの思考を、アメリカの生態学者であるポール・シェパード(1925-1996年)の「人間は動物との関係を通じて人間になった」という仮説にもとづいて展開した。

140219_1.JPG

シェパードによると、人間が構成されるのは動物との関係性においてであり、人間の中にある動物的な「生き生きとした潜在性」が人間自身を構成し、このことは人間そのものの再生につながる。レステル氏によると、例えばシャーマニズムにおいて、人間は自分の中に他の動物を迎え入れる場を開くことにより、自らを生き生きとさせ、この歓待を通じて自分が人間になるという。私たちはここに動物と人間の二人称的な関係性を見出すことができるのだ。このように、人間と動物は相互に構成し合っている。この構成的な関係性にとって重要なのは、存在論的に動物がどのように私を構成しているのかということである。ネオダーウィン主義は人間も動物であったが、今は動物ではないという。しかし、そうではなくドゥルーズが言うように「人間はいつも真ん中milieuにいる」のだ。二人称としての動物は如何にして私を構成しているのか、あるいは動物が如何に私によって構成されているのかという循環的な構造がある。そこでは、君が私を構成し私が君を構成するのである。

レステル氏によると、動物学や生物学は一般的に三人称的な科学的記述を用い、現象学は一人称的な記述を用いるという。これを超えた二人称的な記述の方に、如何にして向かうことができるのか。氏は、1930年代から1980年代にかけて、動物学が観察者のない完全に客観化された動物性を記述するために三人称的記述を用い、結局はその記述の不可能性に辿り着いたことを説明した後で、二人称的な思考の展望について述べた。まず、マルチン・ブーバーの『我と汝』において、神から出発して、人間の存在は、我と汝の関係において「対話」によって確立される。しかし、人間と動物の関係においては、対話ではない問題がある。人間中心主義に陥らないために、「対話」よりも「対面confrontation」について思考することが重要なのである。シェパードの哲学は「対話」よりも「対面」の哲学を展開し、動物と人間の関係が単にポジティブな側面だけでなく、「食す」等のネガティブな側面も含んでいることを思考する。レステル氏は、ヨーロッパでは動物は人間とは違うということを強調して来たが、人間と動物の差異、動物と動物の差異、その差異の差異がどう違うのかということを問わなければ、人間中心主義に陥ってしまうと主張する。氏はフィールドの哲学をやっているが、概念しか持たない哲学を、もう少し文学が持っている豊かな自由の空間に開いて行く必要があるという。小説家ロマン・ガリーが『天国の根Les Racines du ciel 』の中で、象が居なくなってしまうことで、人間の自由も奪われるというアフリカのはなしを描いているように、動物学としての哲学は、文学や詩などフィクションを用いたより想像的で自由な方に向かうべきであり、この一貫として二人称の哲学を思考するというのがレステル氏の思想である。

140219_2.JPG

終わりに、司会をされた小林先生をはじめ参加者からそれぞれ興味深い質問がなされた。「人間と動物の関係における二人称から三人称的な視点へと移行する可能性」や「二人称における偽装としてのフィクション」に関する質問等、大変興味深いものだった。なお、レステル氏のテクストは、邦訳で、ドミニク・レステル「ハイブリッドな共同体」(大橋完太郎訳『現代思想』2009年7月号「特集:人間/動物の分割線」青土社に所収)を読むことができるので、ご関心のある方にお薦めする。

(文責 : 山岡利矢子)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】 ドミニク・レステル氏講演会 "Penser velu. L'animalité du point de vue de la deuxième personne"
↑ページの先頭へ