梶谷真司「邂逅の記録68:第22回国際哲学オリンピック in リトアニア(2)」
2014.5.29 第22回国際哲学オリンピック in リトアニア(2)
IPOの課題文は、ライティングのルールと同様、英独仏西の4言語で書かれている。そのうちの一つを選んで、その内容に関して4時間でエッセイを書く――これがオリンピックの競技である。今年の課題文は、以下のとおりである。
1.ヴィトゲンシュタインの弟子であるAnscombeの『哲学選集』から――「自分の目的のために無実の人の命を奪うことを選ぶのは、つねに殺人である。無実の人の命を奪うのは、もし統計的に見て自分の行為がそのような結果を引き起こしかねないと知っていたとしても、殺人とは限らない。[…]他方、そのような可能性を考えるのを怠れば、それは殺人になる。」
2.アメリカの美術・建築批評家Aline Saarinenから――「あらゆる問いの中でもっとも困惑するのは、次の問いである――もし偽物があまりにもうまくできていて、どれほど徹底した信頼できる調査をしても、本物かどうかはっきりさせられないとしたら、それはもう本物だと言っていいくらいの出来栄えだということではないだろうか。」
3.Platonの「知識とは、議論に基づいて真とされた信念である」と、それに対してアメリカの分析哲学者Edmund Gettierが発した「信念は、正当化されて真とされれば、知識と言えるのか。」という2つの文章から成る(これは1963年にGettierが書いて一躍有名になったわずか3頁の論文のタイトルでもあり、「ゲティア問題」として知られる)。
4.『中庸』にある孔子の言葉――「孔子は言った。中庸の教えがなぜ実践できないのか、私には分かっています。賢い人たちはそのことをあまりにも分かっているので、とても無理だと考えます。愚かな人は、それが分からないので、どうすれば実行できるのか知りません。私は、なぜ中庸の教えが広まらないのかも分かっています。才のある人はそれを大げさに考えすぎるし、才のない人はそれがまったくできないからです。」
日程2日目、高校生たちは午前中エッセイを書き、それを同行した教員たちが全員で協力して審査をする。そのさい採点基準となるのは、課題文への関連性、議論の論理的説得力、首尾一貫性、独創性の点を勘案しながら総合的に評価する。一人のエッセイにつき4人が採点をし、その平均点により順位を決める。一定の水準に達したものは第2ステージに進み、さらに二人の査読者が評価し、その点数を含めた平均点を出し、最終的な順位を決める。それで金メダルが4人(ルーマニア、フィンランド、ドイツ、リトアニア)、銀メダルが8人(スウェーデン、ポルトガル、ハンガリー、インド、ポルトガル、リトアニア、ポーランド、オランダ)、銅メダルも8人(オーストリア、ギリシャ、クロアチア、リトアニア、モンテネグロ、スペイン、ノルウェー、フィンランド)の受賞となった。日本の選手では、筑波大付属駒場高校の金井雄樹君が、メダルには届かなかったものの、佳作で入賞を果たした(佳作は全部で9人)。2007年のトルコ大会以来、日本の参加史上2回目の快挙である。もう一人の金さんも、入賞には届かなかったが、存分に頑張ってくれた。
結果は一番大事なわけではないが、今回に限って言えば、入賞者が出たことは、これまでずっと日本のIPOの委員長を務めてこられた北垣先生にとって何よりの餞となった。後任を務める者としてこれほど嬉しいことはない。またIPOの大会事務局からも、彼のこれまでの貢献が称える言葉があり、北垣先生も壇上にあがり、大きな拍手が沸き起こった。私からも北垣先生に心からの敬意と謝意を捧げたい。
前回のブログにも書いたが、現在日本のIPOはUTCPの支援もして下さっている上廣倫理財団が事務局を引き受け、全面的に支えてくださっている。それに応えるためにも、北垣先生の思いを引き継ぎ、できる限りの貢献をしていく所存である。