梶谷真司「邂逅の記録67:第22回国際哲学オリンピック in リトアニア(1)」
2014.5.26 第22回国際哲学オリンピック in リトアニア(1)
5月15日から18日まで、リトアニアの首都ヴィリニュスで、国際哲学オリンピックの第22回世界大会が行われた。今回は42か国から89人の高校生と、73人の教員が参加した。IPOの規定では、各国から高校生、教員ともに2人まで出場することができる(ただし開催国は10人まで)。日本は2001年以来今回で14回目、筑波大付属駒場高校3年生の金井雄樹君とサンモール・インターナショナルスクール2年生の金雅紀さんが参加した。
15日に東京を経ってヘルシンキ経由でヴィリニュスに到着。空港までスタッフの一人(後でわかったのだが、高校で宗教と哲学を教えている先生だった)が迎えに来てくれていた。同じタイミングで、2年前にオスロで知り合った二人の教員が引率するスイスの代表団も到着していて、久しぶりの再会を喜んだ。そこから直接オープニングセレモニーの会場であるシティーホールに向かった。今回の大会委員長、ヴィリニュス大学哲学科教授のJurate Baranovaさんが開会の辞を述べ、続いてリトアニアの文部科学大臣と哲学教員の会会長、FISPの代表らが挨拶をした。そのあと各国代表団の紹介があり、私たちもステージに上がって挨拶をした。
実は2001年以来日本のIPOを牽引してこられた同志社大学名誉教授の北垣宗治先生は、今回のリトアニア大会で引退する意向を固めておられた。代表団の紹介の時、壇上で先生がその旨を伝えると、会場からは先生のこれまでの貢献を称え、引退を惜しむ拍手が沸き起こった。後継者に指名された私としては、北垣先生ほどの見識も信頼もなく、その重責を最初からきちんと担えるとは思わないが、新たな気持ちでできる貢献からしていく決意を新たにした瞬間であった。
セレモニーが終わると、教員と高校生で分かれてのディナーパーティーがあり、そこで私は2年前に知り合った各国の仲間と話をした。これはIPOの特徴なのだが、多くの国の引率者が、基本的には毎年継続して参加しているため、非常に打ち解けた雰囲気で、それぞれの国で哲学教育に携わりながら、一緒に若者を育てているという連帯感、一体感がある。ここに来れば、またあの人に会える、という安心感は、IPOに継続的に参加するのに重要なモティベーションであろう。北垣先生によると、毎年引率者が替わる国は、参加が途切れがちになるとのことである。哲学教育も含め、IPOの活動は、多くの国で公的な支援を得られていないので、やはり志と熱意を持った人でなければ、高校生を育てて毎年参加するというのは困難であろう。その点日本は、上廣倫理財団が事務局を引き受け、全面的な支援があり、たいへん恵まれた状況だと言える。
2日目、高校生は朝からエッセイ・ライティングをしていた。母語以外の英独仏西の4言語のうちのいずれかで、4時間で哲学のエッセイを書く。どのような課題文が出たかは次回で説明することにしよう。同じ時間帯、教員はトラカイという近郊の古い街へ観光をした。午後は、高校生がトラカイ観光をし、教員は全員でエッセイの審査を行った。一人当たり、4~5つのエッセイを読む。それで平均点が一定水準に達したもの(今回は全体の3分の1ほど)が第2ステージに進み、さらに二人の人が査読をする。その結果を受けて、どこまでを入賞にするのかを全員で決め、あとは、理事会メンバーがすべてのエッセイを読んで、メダルの受賞者を決める。この日は、審査に予定よりもずっと長く時間がかかり、全員での審査だけで3時から9時半すぎまでかかった。
3日目は、教員・高校生ともにヴィリニュス大学へ行き、リトアニアの哲学の現状に関するプレゼンテーションを一緒に聞いた。リトアニアはエマニュエル・レヴィナスの故郷で、彼の足跡と思想をたどる発表がまずあり、そのあと、現在のリトアニアを代表する哲学者Arvydas Sliogerisの思想の紹介があった学校における哲学教育についての発表があった。そこで分かったのは、西洋哲学の受容の仕方が日本に比較的似ているということである。とくに自然科学やそれを支える近代哲学の発想に対して、自然との一体性を土着の信仰に見出そうとする姿勢や、現象学やハイデガーへの強い志向をもっている点、フランスのポストモダンも積極的に取り入れているのが特徴的である。他方、日本と対照的なのは、今回の大会委員長を務めているJurate Baranovaさんをはじめ、大学教員が哲学教育一般に並々ならぬ熱意をもって取り組んでおり、テーマや年齢に応じて様々な個性的な本を教材として開発、出版しているという点である。このような研究と教育の一体性は、リトアニアの哲学の大きな特徴の一つだと考えられる。このことが分かったのは、今回私にとって大きな収穫であった。
そのあと、ヴィリニュスの旧市街をみなで観光し、午後にはまた大学に戻り、教員はRita Serpytyteさんのニヒリズムに関する講演を聞き、高校生はKristupas Saboliusという若手研究者の「映画と想像力と哲学」に関する講演を聞いたようだった。夕方からは高校生たちと再び合流し、郊外のリクリエーション施設のレストランで打ち上げのパーティーを行った。少し異例だったのは、翌日朝早く出発して授賞式に出られない代表団があったため、急きょパーティーの場で、参加証が全員に配られたことだった。これまでは授賞式で参加証を渡していたのだが、受賞者・入賞者だけはその時に名前が呼ばれない。そのため、呼ばれた人は、入賞も受賞も逃したことがはっきりしてしまい、かえってがっかりするような感じがあった。しかし今回は、授賞式では、入賞者から名前が呼ばれ、そのあと銅メダル、銀メダル、金メダルと進んでいくので、最後まで「ひょっとすると取れるかもしれない」と期待を抱き続けることができたと思う。
エッセイ・ライティングと結果については、また稿を改めるとしよう。