時の彩り(ラスト・ラン) 155
★「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展(駒場博物館)がオープン!
ようやくオープニングにこぎつけました。25日夜に関係者内覧会、そして26日から一般公開でした。わたしとしては、だいぶ前から考えていたこの展覧会が現実になったことに感激しています。自分のコレクションとはいえ、《終わりなきパリ》のリトグラフをこんなふうに並べて、それをひとつの空間へと解き放ったことなどありません。作品は空間を得てはじめて本来の輝きをみせるということを今回ほど実感したことはありませんでした。そのジャコメッティの作品を取り巻くようにモデルニテのパリの粋を伝える小品群を配置して「パサージュ」を構成しました。ここでは、ニコラ・ド・スタール関係の貴重な本とか、黒田アキさんとわたしのコラボレーションの作品(わたしが仏語で詩的テクストを書きました)なども展示させてもらいました。加藤道夫先生とわたしがそれぞれ3点づつを持ち寄って構成したル・コルビュジエのコーナーもおもしろい出来になりました。みなさんからは好評をいただいています。ありがたいこと。まだの方はどうぞごらんになってくださいね(入場無料だし!)。
★二週間にわたった展示作業のあいだにも、エリック・カズデンさんの講演会(4月23日)、オープニングの日には、麿赤兒さん/橋口譲二さんとの鼎談(4月26日)もありました。これらのイベントはまた別にブログの報告が出るはず。カズデンさんの講演には遅れて行ったのだけど、わたしが現れた直後に、かれが、三年前にUTCPで「Already dead」というタイトルで講演したときに、わたしが「Not yet born」はどうなっているんだ、と質問したらしく、それがずっと「トラウマ」になっていた、と衝撃的な発言。こちらはすっかり忘れているが、いかにもわたしらしい応答だなあ、と変なところで感心。でも、当たり障りのない無意味な問いを出すより、「トラウマ」がいいですね、そこからかならず新しい研究の方向が見えてくるもの。麿さん、橋口さんとの「対決」は、やはり同世代、3人とも当時の新宿・凮月堂で時間をすごしていたことがわかって、なんだか旧友にあったみたい。わたし自身はリラックス。現在、雑誌「未来」の連載で戦後文化論を書いていることもあって、関心は重なり、いろいろ学ぶことがありました。わたしが知らない70年以降の季節のひとつの流れを確認できたのが収穫でした。お二人とともに遅くまでおつきあいして、お話しできたことが楽しかったです。