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【報告】Journées doctorales franco-japonaises "Et"

2014.04.04 桑田光平, 小林康夫, 山田広昭, 山岡利矢子, 星野太

2014年3月20日(木)・21日(金)の2日間にわたって、パリ第8大学と東京大学の共催によるグラデュエート・カンファレンスが、サン・ドゥニ美術・歴史博物館およびパリ第8大学にて開催された。

« Et »(英語の接続詞「and」)を共通テーマに掲げた本カンファレンスでは、哲学、文学、美術などのさまざまな分野を専攻する15名の大学院生たちの発表が(すべてフランス語で)行なわれた。以下、東京大学から参加した大学院生たちの報告をお届けする。

なお本カンファレンスは、文部科学省・卓越した大学院拠点形成支援補助金を受け、2013年度に実施された「UTCP・卓越プログラム」の一環として開催されたものであることを付言する。(星野 太[東京大学])

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山岡利矢子(東京大学大学院総合文化研究科博士課程/UTCP RA)

フランス語の接続詞 « Et » とは、言語の働きにおいて如何なる射程を持ちうるだろうか。それは、二つ、あるいはそれ以上のものを結び付けるという働きをなす。 « Et » によって結ばれた瞬間に、連携された語の関係性はある統一性を持つことになるだろう。例えば、「太陽」「月」という言葉を「太陽と月」と接続して表現してみると、そこには輝きや天体、宇宙など両者を結びつける何らかの共通した意味作用が生じることになる。「月と女」と並べてみれば、月に女性のイメージを喚起させることになるだろう。 このような « Et » による連繋の力は、フランス語で繋辞(copule)の役割を果たす « être » と同様の働きをなす。« être » は « Et » と同様に二つのものを結びつけることができるのだ。S est Pという言語作用において、主部と述部を結びつける「存在(être)」についてどのように考察することができるだろうか。この「存在」への問いが « Et » との関わりにおいて、私の発表「叫びとメタファー」で明らかにしたいことであった。ジャック・デリダはメタファーの修辞学的作用において、「存在」の退きが生じることを指摘する。この「退き」や「不在」、「沈黙」がまさに言語作用において重要な現象である。「私は日本人である」という時、「私」という実在するありのままの「存在」は退き、沈黙を強いられるだろう。この「存在」から引き剥がされるときに生じるのが、アルトーの言う身体的「叫び(cri)」なのである。« Et » あるいは « être » による連繋によって、沈黙せざるを得ないものがあり、それが言語の限界であると言えるだろう。

このカンファレンスはパリ第8大学と東京大学との共同開催で2日間に渡って開催された。パリ第8大学からは、クリスティアン・ドゥメ先生、ピエール・バイヤール先生、ミレイユ・セギー先生、東京大学からは小林康夫先生に各会の司会をして頂いた。各先生には開催にあたって本当にご尽力頂いたことに深く感謝したい。また小林先生やパリ第8大学の指導教官であるブリュノ・クレマン先生や他の先生にコメントを頂いたことは大変光栄であった。今後の研究に活かして行きたいと思う。さらに、発表原稿の執筆過程において、お忙しい中、小林先生をはじめ、東京大学の山田広昭先生、桑田光平先生、星野太氏、招聘研究員のエリーズ・ドムナックさんにご指導を頂いたことにも深く感謝を申し上げたい。今回の発表は本当に多くの人々に支えられて実現したものであった。

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篠原 学(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

« Et » について語ることには自明ではない何かがある。« A et B » と言うとき、ごく当たり前に、私たちの視線がその前後にあるAやBへと差し向けられる消失点としての « Et »。それを視界に浮上させるには、私たちの視線を活性化させねばならない。

私は現在、ミラン・クンデラの小説に関する博士論文を執筆中であり、今回の発表では、クンデラの小説における恋愛と政治の関係について、その錯綜した結び目を記述することを目標として設定した。だが、恋愛と政治の関係、と言うこと、そのような見立てにもとづいて私たちが思考することによって、「と」ははじめからある自明さを纏って私たちの視界のなかに入ってくる。そのとき、この接続詞にとって本来的なものである不可視性は、それ自体が隠蔽され、不可視にされてしまうだろう。「AとB」というとき、AとBのあいだには関係があるのではなく、ただ私たちがそのように振る舞っているにすぎない。あるかないかわからないものを、さもあるかのように受け取る読者の振る舞いを、邪推の意図をもってテクストを曲解し、書かれてもいないことを告発する書物の検閲者の振る舞いに重ね合わせることで、私はこの微妙な問題のなかに、おずおずと分け入ろうとしたのだった。

こうしたことはしかし、発表を終えた今だから書けるのであり、ここに至るまでの自分の迷走ぶりには、暗中模索という言葉がぴたりとあてはまる。全体を統括されるお立場にあった小林康夫先生が、桑田光平先生、山田広昭先生、そしてリヨン高等師範学校のエリーズ・ドムナック先生にもお越しいただいての指導の場を定期的に設けてくださらなければ、私の発表が形になることはなかった。この数ヶ月間、私を励まし、とにもかくにも先へ進むよう促したのは、指導のたびに小林先生が繰り返し口にされた « Et alors ? » の一言であった。「だから何だ」とでも訳すほかないこの一言が、東大側のすべての発表者の精神的な支えになっていたと思う。この場をお借りして、心から御礼を申し上げたい。また、小林先生とともに、私たち発表者を一貫して温かく見守ってくださった桑田先生と、UTCP特任助教の星野太氏にも、深い感謝の念をお伝えしたい。

今回のシンポジウムはパリ第8大学の先生がたの格別なご厚意なくしては成り立たないものであった。私の登壇するセアンスの司会を務めてくださったピエール・バイヤール先生をはじめとして(バイヤール先生にコメントをいただけたことは、私にとってこのうえなく光栄なことであった)、クリスティアン・ドゥメ先生、ミレイユ・セギー先生にもたいへんお世話になった。とりわけ、二日目の夜に発表者全員を招いて行われたレストランでの晩餐会は、フランス的なconvivialitéの精神に見事に彩られた、奇跡的なものであった。その歓待の御恩に報いるべく自分にできることは、さしあたり、この機会が自らの研究にとって飛躍の契機となるよう、いっそうの努力を続けること以外にないように思われる。すばらしい経験をさせていただいた。

横山由季子(東京大学大学院総合文化研究科/パリ第10大学博士課程)

美術を専攻する私がパリ留学中に参加したコロックは、テーマが限定的なものが多く、少なくとも「美術史」という枠組みから外に出ることは極めて稀だったように思う。フランスにおける美術史研究は、時代や主題を絞って、近年ますます細分化が進んでいる。それによって新たな知見がもたらされる一方、より本質的な問題、すなわちある作品が人間の歴史においてどのような意味を持ちうるのか、という問いに正面から取り組む姿勢は薄らいでしまう。今回のシンポジウムに向けて与えられた « Et » というテーマは、私にとってはまず分野を超えた対話の場であることを強く意識させるものだった。そして実際に繰り広げられた発表は、人文科学を横断するような多岐に渡る内容であった。ときにはあまり予備知識のない分野についてのフランス語の発表を2日間に渡って聴くという経験は、苦しくもあると同時に、発表者に通底する問題意識をおぼろげながら感じ取れる瞬間が確かに幾度か訪れたことは、深い喜びでもあった。

私自身は、画家エドゥアール・ヴュイヤールが1890年代に制作した室内画の分析を通して、「絵画」と「装飾」という、19世紀末のフランス社会を考察するための鍵となる領域をめぐる議論を再検討することを試みた。壁紙や女性のドレスの装飾文様で埋め尽くされたヴュイヤールの作品においては、あらゆる対象の輪郭が無数のタッチのせめぎ合いのなかで揺らぎ、並置された面が相互浸透して空間の読み取りを困難にする。そこでは、西洋絵画の伝統で絶対的な地位にあった人物すらも溶解してしまう。そのような絵画を、当時の象徴主義の文脈における「親密性」の概念や、ベルクソンの美学と結び付けて論じた。マラルメについて発表した坂口周輔氏は、この親密性とは誰に向けられたものであるのか、そして桑田光平先生は、ゴンクール兄弟が示唆した19世紀の社会の変化との関係について、問いを投げかけてくださった。また、極めて女性的な親密な空間における男性、ないしは画家自身の存在をご指摘いただいたミレイユ・セギー氏との対話も、これから博士論文として発展させていくうえでの大きなヒントとなるだろう。

1日目は緑の樹々に囲まれた美しい博物館、2日目は周囲の喧噪から逃れた大学の一室というこの上ない環境を用意し、和やかな雰囲気で迎えてくださったパリ第8大学の先生がたや、学生たちには本当にお世話になった。また、シンポジウムを終えての晩餐会で、小林康夫先生がかけてくださったこれが「はじまり」という言葉に、じわじわと鼓舞されている。そして、発表準備の過程で小林先生や桑田先生をはじめ、星野太氏、エリーズ・ドムナック氏には、何度となく貴重な助言をいただいた。一人では、自身のフランス語や、発表内容とここまで向き合えなかったと思う。ここに記して感謝の意を表したい。

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角尾宣信(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

正直言ってパリでの発表が決まった時、私には展望がなかった。フランスでの留学経験はおろか、フランス語で原稿を書いたことすらなかったからである。さらに今回テーマとして選ばせていただいたのは、自分の研究関心である大島渚と同世代で、日本の実験映画とヴィデオアートの先駆者である飯村隆彦氏の作品であり、これがさらに困難を極めた。そもそも日本語で考えたところで、アイディアが湧かなかったのである。

しかし、このような非力な私を想定したかのように、渡航までには三回に及ぶ手厚い指導が行われた。初回は、小林康夫先生のほか桑田光平先生と山田広昭先生、そしてUTCP特任助教の星野太先生が各発表者のアイディアを聞いてコメントを下さった。次の回からは、リヨン高等師範学校のエリーズ・ドムナック先生もお越しくださり、アイディアの内容のみならず発表者の発音や抑揚に至るまでコメントを下さった。そして三回目には、本番通りの25分間の発表を先生方の前で行った。さらに各回が終わる毎に、発表者全員が小林先生より反省点の確認と激励のメールをいただいたのである。これらのご指導が、発表準備のための大きな助力となったことは言うまでもない。

また次第に分かってきたことは、今回のシンポジウムのテーマ「et」の潜在的な広がりと柔軟性である。飯村隆彦の映像作品を考えていく上で、初め映像の細部ばかりを捏ねくり回していた私にとって、飯村隆彦の映像と等位接続詞「et」という形で折々に観点を新たにすることは多くの発見をもたらした。

しかし、発表の決め手が見つからぬまま、パリへの渡航の日を迎えた。仕方がない、発表まで数日が残されていたので、知り合いのアパルトマンにてルームシェアしつつ茫々と考える日々であった。ところがパリは不思議な街である。フランス語に囲まれたカフェで朝のバゲットを噛みながら石畳をぼんやり眺めていると、無意識裡にいただいたアドバイスと自分の考えていたことがつながり合い、結果、扱っていた飯村作品の題名に「et」の省略があることに気付いたのである。これが決め手のアイディアとなった。しかし、こうしてギリギリになってできあがった発表原稿のフランス語の校正は、桑田先生のご尽力がなければ不可能であった。

そして、発表当日のパリ第8大学、その講堂であるエスパス・ドゥルーズはスタイリッシュな会議室であった。フランス側の先生方のご厚意で、朝食まで用意されていた。そこでミレイユ・セギー先生にご紹介いただき、私は無事に発表を行うことができたのである。

小林康夫先生の他、日本側の先生方、そしてフランス側の先生方、ミレイユ・セギー先生、ピエール・バイヤール先生、クリスティアン・ドゥメ先生、陰に陽にこれら先生方のお支えがなければ、「et」という絶妙なテーマでの今回のシンポジウムもそのスタイリッシュな会場も、そして私の発表も成り立たなかった。しかも、今回の発表で得たアイディアはまだ展開しきれていない。この感謝の思いをバネに、より研究を進めたい。しかしまずは、素晴らしいパリ初体験の感謝をここに記したい。

戸丸優作(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

« Et »という言葉は我々が普段何気なく使っている言葉の一つだが、ひとたび足を停めて考えてみると、そこには見落とされがちなものがある。« Et » は総合でもあり離接でもあるということだ。

私はサミュエル・ベケットがフランス語を創作の言葉として用い始めた時期の長編小説に書き込まれている言語変更の痕跡を明るみに出そうとしている。« Et » で何かを考え始めた時、ベケットにとって « Et » が彼の中のある情動と結びついているような気がしてならなかった。母語である英語を一度はフランス語に替えて創作したが、再び英語でも書く二重言語使用者としてのベケット。過保護な母から距離をとろうとしてフランス語に向かったはずが、フランス語で母について書き始めるベケット。こうした一見説明し難いベケットの心性に分け入ろうとしてきた自分にとって、« Et » という言葉は導きの糸となってくれたように思う。

十二月上旬パリで発表する話が突如として舞い込んできた時、正直今の自分のフランス語力ではとてもではないが困難なことだと思った。年明け早々に第1回のミーティングが開かれた時、それまでの構想をあっさりと否定され、途方に暮れたものの、小林先生の何気なく言った一言を自宅に持ち帰り、あれこれ考えるうちに今回の発表の骨子が生まれた。2回目、3回目とミーティングを重ねるうちに、内容が纏まって行くのを感じ、それと同時にはじめと比べてフランス語も少しずつ改善されて行ったように思う。こうした場を継続的に設けて丁寧に指導をして下さった小林先生、桑田先生、リヨン高等師範学校のエリーズ・ドムナック先生、UTCP特任助教の星野さんにこの場をかりて厚く御礼を申し上げたい。

コロック当日は私の発表するセアンスの司会を務めて下さったピエール・バイヤール先生からありがたい指摘を受け、今後の研究に有益なものとなった。発表者の皆が « Et » という共通の題目から各々の関心に従い様々な思考を練り上げていたことに触れ、これもまた « Et » なのだと一人で納得してもいた。また、パリ第8大学の先生がたや学生の皆さんのコメントや質問が出る度に、その場の議論が熱を帯びたものに発展して行くさまを目の当たりにしたことも非常に有益な体験だったように思う。今回のパリでの経験は先生がたをはじめ多くの人々の支えなくしては得られないものだった。そうした人々に報いる為にも、いっそう精進しなければという思いを強くした。ありがとうございました。

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森田俊吾(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

「言語学と文学」、両者を対面させ、両者を変革させる « et » という語の中に示されている場所は今なお開拓途上である。かつてアンリ・メショニックは『詩学批判』の中でこのように語っていたが、言うまでもなくそれは1968年4月にクリュニーで開かれたコロック「言語学と文学」を意識してのことであった。そして40年以上の歳月を経た今なお、この « et » の問いかけは開拓途上にあるのだろうか。

今回の、「Et」と題された研究会は2日間にわたって行われた。研究会は全部で4つのセクションに分けられ、« et poésie, et philosophie, et langages, et fictions et images… » と多様な領域を繋げていくことで、学生達がそれぞれの専門分野から « et » に関わる発表を行うというユニークな形式であった。最初のセアンスが et から始まっていることからも、やはり « et » の問いは未だ持続していると言えるかもしれない。

発表内容については全て書ききれないが、フローベールやプルーストにおける « et » の用法を分析したものや、「フィクションと出来事」、「検閲と自己検閲」、「絵画と装飾」というタイトルだけですでに魅力的な連結が施されているものまで、種々様々であった。その末席を汚す形で発表した拙稿では、アンリ・メショニックの詩集 Et la terre coule の « et » に着目し、この直前の出来事が何であったか、という問題に取り組んだ。実はこの詩集の題名それ自体が、かつてメショニック本人が翻訳した『イリアス』の試訳の抜粋であり、ヘブライ語聖書の翻訳者でもあった彼が、翻訳を介してギリシア的な « et/kai » をヘブライ的な « et/vav » との対比の中でどのように捉えていたかを考察した。おそらくこの「Et」の研究会がなければ、ここまで « et » について深く考える機会はなかったであろうことは発表者のほとんどが実感しているにちがいない。主催者であるピエール・バイヤール先生、クリスチャン・ドゥメ先生、小林康夫先生、ミレイユ・セギー先生たちにはこの場を借りて感謝したい。

ところで、本報告者が担当したセアンスは et poésie と題されていたが、ここでもやはり「 « et » の前には何があるのか?」という問いが目の前に立ちはだかる。ヘブライ語の聖書では、天地創造の出来事が終わるまで、すべての文が接続詞「そして」で紡がれているが、この「Et」の研究会はどういった出来事の続きだったのだろうか。その答えをここで出すことはできそうにない。ただ、一つだけ確かなのは、今回の発表・討議を通して、私たちはこれからの研究へと « et » で繋げていくことができるようになったということである。

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