【報告】国際シンポジウム「人文アジア―冷戦構造下の文と芸に対する再認識」
去る2014年3月7日と8日にかけて、上海は華東師範大学において、「人文アジア―冷戦構造下の文と芸に対する再認識」と題された国際シンポジウムが行われました。
今回、UTCPより4名の大学院生と3名の若手研究者・若手教員が発表しました。以下に、その報告を掲載します。
なお本カンファレンスは、文部科学省・卓越した大学院拠点形成支援補助金を受け、2013年度に実施された「UTCP・卓越プログラム」の一環として開催されたものです。
神戸和佳子(東京大学大学院教育学研究科博士課程、UTCP・RA研究員)
華東師範大学で開催された院生カンファレンスに参加させていただいた。私は批評理論には通じておらず、また中国語もできないため、どれだけ議論に参加できるのか不安を感じながら向かったが、様々な場面で他の参加者に助けていただき、充実した2日間を過ごすことができた。
私、神戸和佳子は、"Why Do Children Write? A Study of Life Essay Education in Japan"と題し、日本の生活綴方教育を題材に発表した。「ありのままに書く」ことを唱えた生活綴方教育は、1950年代には生徒を社会変革の主体へと育てる教育効果を生んでいたが、次第にこの教育は冷戦構造を背景とした政治闘争の手段へと変質し、衰退していった。この変遷を検討することで、冷戦期において「書くこと」がもっていた意味を捉え返すと共に、現代における作文教育の可能性を再考することを目指した。教育経験を共有していない中国の学生に、生活綴方の特性を伝えることには困難もあったが、かえって私自身がもちえない多様な観点からコメントをいただき、今後の研究の糧とすることができた。
同じくUTCPから参加された川村覚文氏(UTCP特任研究員)は、"Between Kyoto School and Marxism: Trajectory of Yanagida Kenjuro"と題し、柳田謙十郎の思想の変遷について発表された。川村氏は、まず、柳田が京都学派的な観念論者からマルクス主義者へと転向したことを示した上で、しかしそこには「自己否定による真理への到達」という思想が通底していたと指摘した。こうした思想を保持した柳田は、真の意味で西田哲学を乗り越えてはおらず、むしろ西田と同じ問題を抱えていることになる。川村氏は、こうした柳田の問題から発展する形で、「真理」をめぐる一般的な問いを提起された。川村氏の発表は、中国で知られているのとは別の柳田の特徴を示すとともに、文芸と冷戦をめぐるこのカンファレンスに、ひとつの特異な視点を与えるものであった。
このカンファレンスでの発表の主題は非常に多岐に渡っており、また言語の問題もあって、専門的には理解できないものも多かったが、しかし全体を通じて、冷戦期の東アジアと文芸について多角的に考えることができたように思う。さらに個人的には、恥を忍んで告白すれば、中国文学についての発表を聞きながら「中国の農村で生まれて都市に向かおうとする若者」の心持ちを自分がまったく想像できないことに気づいて、愕然とした。これほど近くの国でありながら、中国から見える世界は、日本から見る世界とはあまりにも違っている。中国を理解しなければ日本について語ることもできないのだと、このカンファレンスを通じて改めて気づかされた。
井出健太郎(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、UTCP・RA研究員)
一日目の第三場に登壇した馬場智一氏(CPAG特任研究員)は、"The path to the universal: Imamichi and Levinas in 1957 at Tioumliline" と題した発表をなされた。この発表は、1957年モロッコはティウムリリンヌの会議で邂逅した美学者・今道友信とエマニュエル・レヴィナスが、技術の力を伴った政治的対立である冷戦下において、哲学によっていかに「普遍」へ到達しようとしたのか明らかにした。
馬場氏によれば、レヴィナスはユダヤ教に立脚することで、上の問いに応えようとしたという。彼にとってのユダヤ教とは、超越との直接的関係を断念し、理性の担い手であることを引き受ける「成人の宗教」であり、「西洋」=「哲学」に近接すると同時に、他なる人間との関係性を通じて、正義の実現への「責任」を求めるからだ。こうしてレヴィナスは、ユダヤ教の伝統に徹底して内在することで「普遍」を目指す。一方で今道は、東西の「人文主義」の相互補完へ訴えようとする。今道の診断によれば、西洋ではキリスト教の伝統のもとで人格概念が確立されながら、責任の哲学的考察が欠けており、逆に東洋ではおもに儒教の伝統のもとで、人格概念が欠如したまま責任概念のみが強調されているからである。だからこそ東西の「人文主義」の比較が要請されるのだ。レヴィナスと今道は、比較の有無という方法上の差異はありながら、責任概念に訴えることで、「普遍」へ到達しようとしたのである。
私、井出は、二日目の最終セッションに登壇し、"Poetic of History―The question of 'historicity' in wartime and postwar Japanese literary criticism" と題した発表をさせて頂いた。この発表は、戦後日本における「歴史意識」を批判的に追求した橋川文三や吉本隆明の試みから遡って、彼らがともに批判した小林秀雄、さらに小林が読んだ本居宣長の「歴史」をめぐる思考の何が問題なのかを問うたものである。
問いの中心は、現実における危機を補完するために、いかに「歴史」が要請されることになるのかにあった。小林は、あらゆる解釈を超えて進展する30年代後半の現実のなかで「歴史」の必要性に言及しているが、それは、「思い出」により可能になるとされるように、自らに固有なものが失われつつある現在から遡行することによって、かすかに想起されるあり方をしている。発表では、小林=本居によって思弁された「歴史」が、こうした構造ゆえに容易に批判できない確実さを付与され、むしろ現実における危機の隠蔽を帰結することを分析した。そして「冷戦」後、この「歴史」に対する批判をどのように実現させるべきか問うたのである。
本会議では、中国における、文学の読解から社会的構想力を直に引き出そうとする強い志向を感じることになった。「冷戦」という主題自体の共有がより密になされたら、と思う場面もあったが、ここで感じ取ったことを、今後の研究に反映させていきたい。最後になりますが、この機会を与えて下さったUTCPの皆様、そして通訳を果たされた杉谷氏と那氏に心底から感謝いたします。有難うございました。
那希芳(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、UTCP・RA研究員)
私、那希芳の発表のテーマは「戦後民主主義における自由民権運動の検討――植木枝盛を例として」として、「戦後民主主義」が「自由民権運動」について、なぜ重視するか、どのように受け継いだか、という二つの問題が検討された。
その分析によると、戦後鈴木安蔵をはじめ、多くの研究者は自由民権運動を高く評価したが、丸山真男のように批判的にとらえる学者もいた。また、自由民権運動を高く評価する研究者の間でも、視点や評価軸に大きな違いがあった。平野義太郎を代表とする人たちは「階級」の観点を重視し、1880年代に起きた農民一揆を高く評価し、豪農・豪商や自由党中枢の動きを軽視していた。一方、井上清、後藤靖などの研究者は「階級」の視点に満足できず、井上は豪農・豪商や自由党幹部の意義を強調し、後藤は「政治思想」の究明を重要な課題として、「国学=尊攘思想」の自由民権運動に与える影響を強調した。これらとは別に、色川大吉は自由民権研究の地方史や大衆史の方向を開拓した。だが、これらの研究では自由民権の思想についての分析・評価は不足であった。
そこで、自由民権思想家である植木枝盛の研究を例として、自由民権思想の研究の問題をさらに詳しく検討した。戦後の植木研究は『日本国憲法』を守る過程で生まれたため、家永三郎をはじめ、多くの研究者は植木起草の『日本国国憲案』と新しい憲法とのつながりを重視していた。この観点からは植木思想の普遍性や徹底性などが重視され、植木の革命権・抵抗権・基本的人権思想が高く評価された。一方、植木を批判する研究者は、自由民権研究における「階級」の視点を維持し、植木の大衆の乖離、農民一揆に対する不理解、組織力不足などを糾弾した。植木に対する正反両面の理解は、どちらも研究者が自ら抱いた理念で歴史上の人物を褒貶する手法であり、歴史の事実に対する凝視が不十分だと那は指摘する。那は新しいアプローチとして挙げたのは、歴史の文脈の中で思想を位置づけること、さらに明治初期思想の起源として、伝統思想と西洋思想両方の影響を明らかにすることである。質疑応答では自由民権思想と軍国主義、さらに天皇制国家の歩みとの関係について議論が集中していた。
全体として、華東師範大学側では、農村から都市へ移動する人を課題とする文学作品の分析が多かった。取り扱った作品は1945年後から現在まで、幅広いものであった。発表者の問題関心は現在の中国社会の問題(都市化過程)と結びついている。捉える作品を通して、多くの発表者は近代化(モダニティ)や資本主義の問題性を指摘し、特に資本主義社会における労働者の疎外問題について集中した議論が展開された。日本の学界はいまポストモダンについて議論が盛んであるが、この機会を通して改めて近代とは何かについて考えさせられ、中国側と一部問題を共有できたと思われる。
杉谷幸太(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、UTCP・RA研究員)
カンファレンス1日目の午前、UTCP特任助教の星野太氏が、"Aesthetics and Politics in Jean-François Lyotard"と題する発表を行った。60年代にはマルクス主義の活動家だったリオタールは、70年代以降活躍の場を哲学に移し、資本主義の精神構造の解明に向かった。そこで彼は、つねに新しさを追い求め、世界のルールを書き換え続けるメタフィジカルな原理を見出し、それを必ずしも否定的にではなく、一つの「崇高の美学」として認識するようになる。他方で80年代になると、リオタールは主に芸術論に軸足を移し、美の大衆性、習慣性を裏切り続けるアヴァンギャルド芸術を肯定的に評価するようになるのだが、資本主義とアヴァンギャルド芸術を評価するリオタールの議論の相同性に、両者の共犯関係が見出せるのではないか、という発表であった。
1日目の午後には、UTCPのRA(リサーチ・アシスタント)の杉谷が、"Takeuchi Yoshimi on War Responsibility"と題して、中国研究者の竹内好の戦後の言論活動をとおして、冷戦と日本の戦争責任問題のつながりを問い直す試みを行った。80年代以降の歴史問題の再燃によって、冷戦こそ日本がアジアとの戦争責任問題を回避することを可能にしたという議論が現在では一般化している。しかし例えば鶴見俊輔、亀井勝一郎など、左右を問わず1960年前後に戦争責任の議論が盛り上がったのは、実は冷戦、とりわけ共産中国を除外した「片面講和」がきっかけであった。とりわけ竹内好の場合、共産中国との未講和こそが戦争責任をたんに政治制度のレベルではなく、その根底にある日本人のアジア蔑視の精神構造への批判を可能にした構造的条件であることを明らかにした。
2日間のカンファレンス全体を通してみると、冷戦というテーマの統一性が保たれていたとは言い難い面もあるが、討論のなかで様々な新しい発見につながるコメントが数多く出たことは個人的には収穫であった。ただ、今回は日本側から中国研究以外の参加者の割合が多かったため、中国側の研究テーマや学術交流のあり方が、どうも中国だけに自閉しがちな点にも気付かされた。これは中国研究の枠内にいて、交流の相手方も中国研究をしている場合が多かったために気付かないままにいた問題であり、その意味では「冷戦」というテーマ設定の意義も大きかったと思う。今後は自分の研究においても、常に開かれたテーマ設定を心がけたいと感じさせられた。