【報告】駒場祭での哲学対話イベント「こまば哲学カフェ(3)」
2013年11月22日~24日の「駒場祭」(東京大学駒場キャンパスの学園祭)期間中、P4E研究会の主催で、カフェフィロの協力のもと、「こまば哲学カフェ」が開催された。以下では3日目の記録を紹介する。
11月24日の日曜日、いよいよ駒場祭も最終日。「こまば哲学カフェ」には、なんと0歳の赤ちゃんから中高生、そして大人まで、本当に様々な人が訪れてくださった。この日、2時間セッションとして行われたのは次の3つの対話である。
・かわいいね、目の前のきみ
・Philosophy Games ~哲学ゲーム~
・中高生のホントのホント
かわいいね、目の前のきみ
企画・進行:渡邉文、西山渓
この時間は、最初に犬が食事をしている様子を映した映像を見てもらい、その後、参加者それぞれに鏡を見ながらお菓子を食べてもらった。そして自分がお菓子を食べている姿を観察してもらい、そこで気付いたことなどをもとに対話をした。参加者には0歳の赤ちゃんや小学生、様々な大人など、約20人の方々が来てくださった。
赤ちゃんから大人まで、その場に集まってくださったすべての人にとって、居心地のよい空間をつくることが私の目標だった。そのために、大人も子どもも関係ない、全員が同じ生き物として参加できるような時間にしたいと思っていた。
対話の前にアイスブレイクとして「なんでもバスケット」(これは「フルーツバスケット」を発展させたゲームである)というゲームをすることになったのだが、これは参加者の小学生の男の子のアイディアだった。子どもと大人が混ざって円になり、全員が子どものように遊んだ。場の空気が暖かくなり、その暖かさがその後の対話の雰囲気にとてもよい影響を与えていた。
対話では、「鏡を見ながら食べてみると、自分はきれいに食べているつもりでも、意外と動物のように食べていた」という意見から始まり、「食べるものによって、食べている時の音が違う」ということを表した絵を紹介してくれた3歳の参加者がいた。その流れで、「食べるときの音」について話しが進み、「なぜ動物が『くちゃくちゃ』と音を立てて食べることは普通のことのように感じられるのに、人間が『くちゃくちゃ』などと音を立てることはいけないのか」、ということや、「人間は動物とは違う、という意識を持って食事のマナーに気を付けている」というような意見もあった。そして、人間と動物の何が違うのだろうか、というように話は進んだ。
対話の冒頭で、大人の意見が子どもにとってはわかりにくいと感じる場面があった。それは大人が普段使っている言葉で話すので、子どもにとっては何を話しているのかがわからないのではないかと思った。そこで大人には子どもが使っている言葉で子どもにわかるように話をしてもらうことにした。その結果、子どもたちも対話の中で考え、様々なおもしろい意見を出してくれたように思う。
0歳の子どもから大人までの人々が1つの円の中で対話をすることができるということがわかった。この時、0歳の赤ちゃんは言葉を使って意見を出していたわけではないし、考えていたかどうかはわからないが、今回の対話の場にいてくれたことが対話をおもしろくしていた。今後は言葉を話さない生き物と言葉を話す生き物が同じ円の中にいる対話というものも考えてみたい。
Philosophy Games ~哲学ゲーム~
企画・進行:土屋陽介
「Philosophy Games」では、“コモン・デノミネーター”、“哲学三題噺”、“アサンプション・ゲーム”という3つの哲学ゲームで遊んでもらいました。前の2つはグループごとに、最後の1つは参加者全員でプレイするものです。どれも海外の子どもの哲学(Philosophy for Children)の実践者に教えてもらったゲームをベースにして、私がアレンジを加えたものです。ゲームといっても、参加者はみな哲学することを楽しみに来ているわけですから、ゲームをきっかけにどれだけ哲学的に考えてもらえるか(哲学的な対話を楽しんでもらえるか)ということを意識して進めていきました。
最初の“コモン・デノミネーター”では、グループごとに自己紹介をしながら、グループの参加者全員に共通するもの(コモン・デノミネーター=公分母)を探してもらいました。ただ共通点を探すだけではおもしろくないので、できるだけ「哲学的だなあ!」と思える共通点を探してくださいとお願いしました。一例として、私自身が参加したグループの場合。私がみんなに「好きなスポーツは?」と尋ねてみると、「サッカー」「野球」「ラグビー」と続いて出てきたので、もしかしたら“球技”が共通点かも・・・と思ったら、最後の1人が「F1」との答え!・・・でも待てよ、F1のタイヤは丸いから、丸いものを使ったスポーツが好きというのが共通点でいいんじゃない?でも、そうするとラグビーは・・・?いやいや、ラグビーボールも側面を前から見れば楕円ではなく円じゃないか!・・・等々。こうやって何とか理屈をつけて共通点をひねり出し、グループごとに発表していったところ、他のグループの人から、視点を変えればものの見方が変わる(楕円球も円として見ることができる)ところが哲学的だと思った、という感想をいただきました。
“哲学三題噺”は、グループごとに自分たちの荷物の中から適当に3つの物を取り出してもらって、そこから「哲学的」な問いを作ってもらうというもの。ゲームの説明をする前に3つの物を選んでもらったので、出てきた物はまったくバラバラでした。たとえば、カメラ、歴史小説、パックの飲み物、外国の紙幣、数式の書かれたプリント・・・この中からどうやって哲学の問いを作ればいいのかと、最初はどのグループもかなり頭を悩ませていましたが、メンバー同士で話をしていく中で少しずつ形が見えてきて、最終的には4つの哲学的な問いが現れました。それぞれのグループごとに個性があって、そのグループの人たちが何を「哲学」だと思っているのかが問いの中に示されていました。また、グループごとに作った問いを発表していく時間では、その問いを巡ってさっそく哲学的な対話が始まったことが印象的でした。
“アサンプション・ゲーム”では、参加者全員でサークルを作って、自分が何となく思っている思い込みが本当に思い込みかどうかをお互いに判定しあってもらいました。実は担当者としては、東大(生)に対する思い込みがここぞとばかり出てきて、その思い込みの正否を東大生自身が判定していく・・・という流れを事前に思い描いていました。しかしふたを開けてみると、東大生の参加者は残念ながら1人だけで、東大(生)に関する思い込みはあまり出されませんでした。その代わりに盛り上がったのは「男って○○だ!」「女って○○だ!」という性差に関する思い込みについて判定しあったとき。参加者の男女比が同じくらいだったこともあって、男女それぞれについてのたくさんの思い込みが判定に付され、「やっぱり一方的な思い込みは多い」「意外とステレオタイプ通りだ」というようなたくさんの感想が寄せられました。
・・・実のところ、担当者が「Philosophy Games」の裏テーマとして密かに設定していたのは、「哲学って何か?」ということでした。ゲームの中で折を見て「哲学的に考えて!」「哲学的な問いを作って!」とお願いしつつ、その「哲学」がどのような意味であるかについては、あえて一言も説明しませんでした。その結果、参加者の一人一人がどのようなことを「哲学」と考えているのかが、ゲームを通してさまざまな場面で現れたように思います。それを参加者とともに見ていくことは、哲学を学んでいる私にとってとても興味深いことでしたし、多様な哲学の理解を前にして改めて「では哲学とは何だろうか?」と考えてしまいました。
中高生のホントのホント
企画・進行:土屋陽介
「中高生のホントのホント」は、考えることが好きな中高生たちが学校も学年も関係なく集まって、ふだん学校ではなかなか話せないことについて、自分たちがいちばん気になることについて、議論をしながらトコトンまで掘り下げていく・・・という企画だったのですが、残念ながら参加者はあまり多くありませんでした。参加してくれたのは、私が哲学対話の授業を行っている埼玉県の中学校から2人、同様にふだんから哲学対話の授業のある長野県の高校から2人、そして当日ふらっと訪れて参加してくれた高校生1人の計5人。最初はふだんの授業を少し引きずり気味の対話でしたが、人数が少ないので急遽大学生にも3人入ってもらったあたりから、中・高・大の経験の多様性によって対話は次第に深まりを増してきました。
ふだんの授業とのいちばんの違いは、対話の時間をゆっくり取れたことでした。選ばれた問いは「死について」。私は参加者の5人のうちの4人までも知っていましたが、問いを出してくれたKくんが、なんでふだんの授業のときも死のことを問題にすることが多かったのか、はじめて理解できたように感じました。彼にとって死の恐怖(の少なくとも一部)とは、自分がいなくなった後も世界が残り続けることに関係しているようです。私にはその感覚がまったくないので、私にとって死の恐怖とは、もしそれが恐怖なのだとしたら、私とともに世界そのものが消滅することに尽きる、ということなどを話しました。
私自身は、毎週毎週中学生たちと哲学対話の授業を行っているので、特に大学祭で哲学対話をしたからどうこうということはなく、ただ、いつものようにおもしろかったし、いつものように発見があったなという感じを抱いただけでした。しかし、そのような感じを抱くことこそが、哲学対話をすることの最大の魅力だと思います。なにも授業をしていなくても、対話をしていなくても、哲学的な構えでこの世界を眺めることができれば、世界はおもしろいことだらけだし発見だらけだということに気づくことができます。大人も子どもも関係なく、哲学を学んでいるかいないかも関係なく、みんなでそういう構えで世界を眺めて笑いあう。そんな楽しく豊かな数時間を(私だけでなく)参加者の方たちも過ごしてもらえていたならよかった、と思います。