【報告】第4回沖縄研究会
2013年11月15日、東京大学駒場キャンパス101号館研修室で、第4回沖縄研究会が開催され、城間正太郎さんによる研究発表と、継続的に行われている折口信夫『国文学の発生』第二稿の輪読が内藤によって行われた。
城間さんは、現在東京大学教養学部超域文化科学科専攻表象文化論コースの4年生で、卒業論文の骨子を今回研究発表の課題とした。
発表は「沖縄方言論争に見る柳宗悦」と題し、沖縄史の中で重要な事象である沖縄方言論争を軸とし、沖縄と深く関わることになる柳宗悦の業績と批判、また現代の小熊英二の著作、『〈日本人〉の境界――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』(新曜社、1998)をモチーフに、ナショナリズム、オリエンタリズムとしての反柳宗悦論の展開について述べた。「沖縄方言論争の見直し」「沖縄方言論争に見る柳宗悦をどのように評価すべきか」の二つが重要な視点となる発表であった。
民芸運動で知られる柳宗悦は、素朴な民衆の生活雑器の中に美的価値を見出した美学者・思想家であり、また朝鮮半島での3.1独立運動の際、朝鮮総督府の弾圧を批判し、日本の朝鮮支配に強く反対したヒューマニストとしても知られている。しかし、現代ではそれらのイメージと異なり、沖縄方言論争を端緒としてポストコロニアリズムの分野からの批判を受けている。
「沖縄方言論争」について城間さんは、沖縄県当局と柳宗悦ら民芸協会側との間で交わされた沖縄語を巡る論争と述べる。沖縄語しか話せないことを理由に沖縄人が被る不便さや差別を解消し沖縄を発展させるべく、沖縄語の廃絶と標準語の強制を目指す県官僚側に対し、柳が異議を申し立て県全体を巻き込むような大きな論争となった。
1940年1月に沖縄を訪れた柳は、標準語強制は沖縄方言を見下し県民に屈辱感を与える、
沖縄方言には日本の古語も多く学術的に貴重などの理由を申し述べ、沖縄県学務課が推進する標準語励行運動を批判し方言論争が起った。この論争の背景には何があったのだろうか。城間さんは以下のように指摘する。
沖縄における標準語奨励の歴史は古い。東京山の手で話されていた言葉を基盤として19世紀後半に成立した「標準語」は、1880年代には早くも沖縄で公式に督励されていた。その後、1920年代初め頃から30年代にかけて、教育を受けた一部エリートを除いて沖縄語しか話せないことが沖縄で社会問題となった。これは貧しい沖縄から逃れるかのように、出稼ぎのために西日本や日本の植民地へと移住する沖縄人の数が増える中、標準語を話すことの出来ない沖縄人達がかの地で直面した差別と密接な関わりを持っていた。
城間さんはここで重要な問題を提起をする。そこには「言葉」に名を借りた沖縄を差別する意識があったはずなのに、差別の対象となる沖縄語を保存せよと唱えた柳は、沖縄人を苦しめていた差別問題に対してあまりに鈍感ではなかったか。沖縄語は純粋な日本語の原形であると述べた柳は、沖縄を帝国日本へと回収しようとするナショナリストではなかったのか、ということである。
さらに小熊英二の著作から、柳がこうした(「純正な和語」を多量に含む沖縄言語を保存すべきだという)主張を行った背景には、この論争が行なわれた1940年という時代状況があり、朝鮮・台湾・沖縄などでの「国語」強制の激化と裏腹に、本土においては、国粋主義の高まりのなかで地方や農村文化の復興が唱えられていた。これは、反資本主義・反自由主義・反西洋文明の主張が台頭したことと、「血と土」を掲げたナチス・ドイツが〈健全な〉地方農村文化を賞賛していたことの影響であった。
柳も県庁への反論文で、「近時独逸に於て、伊太利に於て、地方の言語、風俗、文学、工芸、建築等の振興策を大規模に講じつつあるのを、如何に批評しようとするのであるか」と問い、「中央語が、雑多な語調に乱され、特に外来語の混入によって和語としての純正さを失ひつ々ある時、私達の前には沖縄語が宛ら大写しの如く現れてくる」と主張していたことを引いた。
これらの批判には、柳が沖縄語をまるで保存可能な何かのようにみなしており、沖縄語の生きた姿を見失っていた。あるいは、柳はまるで観光客のように表面的にしか沖縄文化を見ていなかったというオリエンタリズム的なまなざしがあったのではないだろうか。
最後に城間さんは、今後の研究の課題として以下の点をあげた。
一つ目は先行研究への疑問であり、柳宗悦を批判する材料となる「沖縄人の声」の出典資料の読解が徹底されていないのではないか。自らのストーリーテリングに合う形で「沖縄人の声」が引用されてしまっている印象が拭えない。
もう一つは沖縄方言論争の見直しが必要であり、 一次資料の読み直しを基に沖縄内部に存在した温度差を確認しなければならない。そして、柳宗悦のナショナリズムの再検討である。そこには、抜きがたいオリエンタリズムの問題がり、当時の沖縄県が推進していた観光客誘致の思惑もある。方言札の問題も含めて、今後「マイノリティ言語」への確かな視座が必要であると結んだ。
(報告:内藤久義)