【報告】「Confucian Piety」プロジェクト成果報告会
12月12日から16日にかけて、中国・福建省の福州を訪れた。目的は、二つの会議に出席すること。ひとつは、2010年来4年間にわたって続けられてきた、中華圏における儒家復興に関するフィールドワーク研究の成果報告会(13日)、もうひとつは、中華孔子学会という中国大陸での儒家復興を担う学術団体が主催するシンポジウム(14、15日)である。
13日の会議は、蒋経国基金会の資金援助を得て、フランスのセバスチャン・ビリュさんを中心に組織された国際的な研究課題の一環だ。中島隆博さんの誘いを受けてわたしも関わることになり、4年の間、中国・長春の文廟再建プロセスを観察してきた。そのようすは、当ブログでも2度紹介したとおりだ。この研究グループは主に民間における儒家文化再興の現状を調査することに主眼を置いている。儒教が宗教なのかどうかという問題は、それ自体、アカデミックなレベルに収まることのないアクチュアルな問いであり、場合によっては政治的な緊張感すら孕まざるを得ない。実際、調査報告では、あるいは危ういバランスを保ち、あるいは一定の対抗関係を顕在化させつつ、多様なかたちで、いままさに生起しつつある民間儒教の生態が詳細に明らかにされた。それらは、国家からも血縁的紐帯からも一定の距離を保ちながら形成される中間領域としての可能性を萌芽的に含みうる試みのように見えた。
中島さんは3.11後のコミュニティ崩壊の現実(「絆」の強調とは裏腹な事実!)を踏まえつつ、別のタイプのコミュニティの想像力が必要であること、その際に、中国でまさに起こりつつある現象が何らかの示唆を与えてくれそうであることを説いた。一方でわたしは、日本の戦後民主主義が儒家的価値の否定なくしては成り立たなかったことを述べた上で、日本の近代文脈では潰えざるを得なかった別の「儒」が果たして可能であるのかどうかを問うた。議論はジャン・ジャック・ルソーが『社会契約論』の末尾近くで言及し、そして、ロバート・ベラーがアメリカ社会の現実のうえに発展させた「市民宗教」をどう考えるのかというところにまで及んだ。ベラーに啓発されながら中国語圏で「市民宗教としての儒教」を提唱していることで著名な陳明さんがディスカッションに加わったことは小さからぬ意義を持っていただろう。日本と中国では与えられている歴史的・文化的コンテクストがまったく異なる。それを承知した上でなお、儒家言説に刻み込まれた負の遺産にこだわり、同時に、それとは異なる可能性の種子にどう向き合うのか。
14日と15日の会議は、上述のフィールドワーク・グループの中国側参加者のひとり、干春松さんが秘書長を務める中華孔子学会の大会であった。「礼楽文明と中国社会」というテーマで、8つの分科会からなる巨大なシンポジウムが一日半のあいだに展開された。中島さんはニューヨークに行ってしまったので、わたしだけがのこって分科会でも発言者と司会者の二役を演じることとなった。口頭発表の冒頭で、日本と中国の文化的背景が異なっていることを前提にした上で問題を考えたいと述べたことが反響を呼ぶ羽目になったのは、後から考えれば予想できたはずなのだが、対話の難しさを再認識するには十分なできごとだった。ともあれ、民間での儒家復興ムーヴメントとシンクロしながら、大学の中でも、研究や教育の現場で「儒」の再評価が大きなうねりを形成しているのはまちがいない。1980年代から大学儒家ということばはあったそうだが、それとは規模の異なる潮流が制度的そして資金的な下支えを得て成立しているというのは、一昔前からすれば隔世の感ではないだろうか。
以上のように、現実的な困惑をぬきにしてはあり得ない数日間であったが、このような場が持てること自体は、グローバル資本主義の恩恵だというべきなのだろう。それぞれのフィールドに基づく思考を相互にぶつけ合うこと(しかもそれなりの作法をもって)はいまこそ必要だし、有益であるに違いない。それにしても、そういう場をセッティングする苦労もまたひとかたならぬものがある。今回は中国での開催ということで、一年以上前から干春松さんが黙々と難題をひとつずつ片づけた結果、たいへんフレンドリーな会議が実現した。そして、研究課題の組織者として、セバスチャン・ビリュさんが干さんとの絶妙な協力体制を切り盛りしてくれた。課題メンバーとの連絡は英語だったり中国語だったりしながら、大きな誤解も摩擦もなく、終始円満に推移していった。このような協働の関係が心地よいと感じる人たちが集まっていたからこその結果だろう。彼らを引きつける求心力は「礼」だろうか、それとも「友愛」だろうか。ともかく、干さんとセバスチャンさんに深く感謝する次第である。
(文責:石井剛)