【報告】2013年度ハワイ大学―東京大学夏季比較哲学セミナー(4)
2013年度ハワイ大-東大サマーセミナーの報告は、これから第2週めに入ります。まずは8月12日(月)、13日(火)の講義のようすについて、犬塚さんと、UTCPの神戸さんからご報告いただきました。
合同セミナーも今日から2週目。前日の日曜日には東大学生の企画による鎌倉遠足も行われ、授業前の教室はその話題で盛り上がった。ハワイ大学と東京大学の学生が肩を並べ、共に勉学することが自然に感じられるようになった中、中島先生とAmes先生の3回目の講義が行われた。
午前中は中島先生の講義、De Anima in East Asia(東アジアにおける霊魂論)が行われた。17世紀中国明代において、キリスト教宣教師(マテオ・リッチ)と仏教僧(雲棲袾宏)が出会ったとき、全く異なる世界観をもつ相手をどのように理解、または論駁するかが問題となった。リッチはアリストテレスの影響の下、生命を維持する生魂、知覚のための覚魂、推論・識別のための霊魂という3つの区分を主張した。これは動物の魂と人間の魂の差異を意味し、よって動物は過剰でない限り殺し食べてもよいとされた。またそのため彼にとって、仏教僧が主張するような「転生」は受け入れられるものではなく、個人の魂はその身体のみに一致しうるものであると主張した。対して仏教僧らは、動物の殺傷に際して私たちが感じる直観的な痛み、苦しみに、その魂の同等性の根拠を訴えた。霊魂像の対立は、15・16世紀における仏教僧と儒学者の間においても見られ、ここでは他の霊魂との交信の可能性が議論の対象となった。また近代日本に目を向けると、霊魂の死性、不死性についての議論が中江兆民、井上円了、南方熊楠らによって交わされていた。東アジアにおける様々な霊魂論の対立・再解釈の営みを通し、私たちは他者とのコミュニケーション、または共同において生じる問題への理解を進めることができる。授業の最後には、現代のポスト・世俗的世界において、霊魂論は改めて考察されるに値するものであるとして、過去の東アジアにおける霊魂論の中にその手掛かりを求めることへの期待が述べられた。
午後はAmes先生の講義が行われた。タイトルは、"Everyone can become a Sage:" A Revisionist Reading of the Mencius on "human nature"(「誰もが聖人になり得る」:『孟子』の「人性」修正主義的読解)である。デカルトは、日常的な常識を構成する個的な人間、身体、そして精神という考えに対して、無批判であった。しかし個体性は、空間的に孤立して存在することはできず、過去と現在の関係性への参照なしにはあり得ない。『孟子の「心」論』(1932)を書いたI.A.リチャーズは、孟子の言語(文法と意味)の曖昧性は、文脈依存性を示していると述べた。この曖昧性、文脈依存性は、孟子の哲学的重要性を矮小化させるのだろうか?Ames先生は、概念ではなく、「明示的ではない身ぶり」の重要性を説く。厳格な法のような社会的慣習は、分析的、理論的、論理的な思考に終わりをつげ、また主観と客観の区別の欠如は、社会における人工的、流動的産物としての人間の本性を示す。世界の出来事全ては人を自己の内面に向け、誠を発見させるとともに、他者のいる場所に自己を拡張する。『孟子』に見られるこの内化と外化の同時性は、ジェームズ、デューイらプラグマティストと共通するものである。「人間は性質においては似通っているが、彼らの習慣の徳によって大きく異なるのである」という孟子の言葉から、唐君毅は正当にも「儒教における人間の本性は創造性そのものである」ことを見出した。これを象徴するのが、「誰もが堯や舜〔中国神話の君主たち〕になる可能性はあるのか」という質問に対する孟子の返答、「堯の服をまとい、堯の言葉を唱え、そして彼の行うことをすれば、あなたは堯である」であった。
この授業でAmes先生は、翻訳という行為について言及された。翻訳をすることは、同時に哲学をすることでもある。ホワイトヘッドが『思考の諸様態』において述べたように、思索的哲学は自身の辞書を拡大する営みである。東洋思想を英語において解釈し、また様々なバックグラウンドを持つ人々の対話を通して行われるこの合同セミナーは、私たちをこの「型破り」的な哲学的実践へと導くものであり、また新しい世界へと開くものであった。
(文責:犬塚)
******
8月13日。世間はお盆の時期となった。例年は私も帰省や墓参りなどして、生まれ育った文化にどっぷりと浸かって過ごしている。このような特別な季節を、多様な文化的背景をもつ友人たちとともに比較思想を学びながら過ごしていると、それだけでいろいろな問題意識を喚起させられる。
午前、石田先生の第3回講義。これまでの2回の講義では、道元の思想を検討してきたが、今回で道元についてはいったん区切りとなり、西田の時間論へと展開した。道元の「自己・世界・仏性・存在・時間は不可分」という考え方も、西田の「各瞬間は中心なき円の周辺を廻る」「非連続の連続」という発想も、その内実は簡単には捉えがたい。また、彼らがなぜ、そのような独特の考えを得るに至ったのか、その動機を共有することも難しい。(構造と動機の少なくともいずれかを共有できなければ、他者の提示した哲学を「理解」するのは極めて難しいことだ。)しかし、これまで自分が考えてもみなかった発想、自分の理解を超えた壮大な哲学を眼前に示され、圧倒されるという経験は、それ自体、実は希少なことである。石田先生の講義では毎度、そういった驚嘆を味わわされる。恐ろしく、しかし、心地よい。できればここからもう一歩先に進みたいところだが、それにはもう少し時間がかかりそうだ。
午後、梶谷先生の第3回講義。今回は、自然な死とはどのようなものか、という主題であった。私たちは、死というのは自然現象として誰もが迎えるものであると思っている。そして、他者の死にあたっては悲しみという感情をもつのが自然であり、また、死後には、人間の体は自然に還るのだと思っている。しかし、そのような「自然さ」には、実は強固な規範が潜んでいる。不死という可能性や、死を喜ぶという態度は、不自然なものとして無視あるいは排除されている。また、埋葬という人間の振る舞いなしに遺体が自然に還っていく様は、実はあまりに不自然だ。このように、私たちの死についての態度をあらためて省みることによって、初回の講義で提示された、自然なこととはどのようなことかという問いの意味が、より具体的に迫ってくることとなった。
講義終了後には、何人かの参加者と、三木清に関する勉強会を非公式に行った。講義でも扱われた西田幾多郎との比較検討を通じて、京都学派に関する理解がより深まったのではないかと思う。私は日頃、三木について研究しているのだが、自分がどれほど日本語の表現に甘えた研究をしているかを思い知らされた。日本語では説明できるつもりになっていたことが、英語で問い直された途端にわからなくなる。そして、相手がよい研究仲間であるからこそ、どうしてもわかってほしいと思うことによって、このもどかしさは増幅される。 ありがたい苦しみであると思った。特定の言語でしか表現できないことがある、というようなことは、他言語でできるかぎり説明する努力をした後でなければ言う資格がないのだと、悔しさを噛み締める経験であった。
(文責:神戸)