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【報告】ヤン・ミェズコウスキー講演会「近代戦争の五つのテーゼ」

2013.08.27 星野太, 宮崎裕助

2013年5月28日、東京大学駒場キャンパスにて、ヤン・ミェズコウスキー教授(リード大学)の講演会「近代戦争の五つのテーゼ(Five Theses on Modern War)」が開催された。

ヤン・ミェズコウスキー(Jan Mieszkowski)氏は、カントからアルチュセールにいたる美学と政治/経済の問題を「想像力」という観点から論じた『想像力の労働』(Labors of Imagination, Fordham University Press, 2006)の著者であり、同時にド・マンやデリダ、さらには現代美術に関する論考などを精力的に発表している気鋭の論客でもある。今回の講演会は、昨年刊行されたミェズコウスキー氏の二冊目の著書『戦争を見る』(Watching War, Stanford University Press, 2012)にもとづくものであり、新潟大学の宮﨑裕助氏を司会・コメンテーターに迎え、UTCPの星野太が同じくコメントを行なった。

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ミェズコウスキー氏の講演は、『戦争を見る』の核心をなす主張を五つのテーゼに要約し、それを順にたどりながら進められた。その五つのテーゼとは次のようなものである。


1. 〔実際の〕戦闘を全体として見渡すことがもはや不可能となり、想像力によってそれを把握せざるをえないとき、戦争は全体的(=総力戦)になった。


2. 今日の戦争は、かつてなく公的であると同時に私的なものとなっている。


3. 戦争は、つねに戦闘の総計以上のものであるか、それ以下のものである。


4. 戦闘の表象は、暴力行為としての戦争と、ある意図を表現する一連の有意的実践としての戦争の分離を描き出さねばならない。


5. 〈戦争の言語〉が名指すのは言語内紛争であり、それは私たちがある表現様式と権力理論を協働させようとするさいにつねに生じるものである。


ミェズコウスキー氏によれば、上記の五つのテーゼはいずれもナポレオン戦争以降の近代戦争を特徴づけるものである。1や2のテーゼから伺えるように、近代戦争におけるこれら一連の変化が、メディアやテクノロジーの発達を前提としていることは明らかだ。だが、ミェズコウスキー氏はクラウゼヴィッツの戦争論やリュック・ドゥラエの写真作品を参照することで、たんなる技術的決定論にはとどまらない多角的な議論を提示する。それは、たんに戦争の表象をメディア論的な観点から分析するものではなく、戦争をめぐる言説や作品を重層的に結び合わせながら、近代戦争というトポスをより深い水準で検討にかける試みであると言えるだろう。

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ミェズコウスキー氏の講演に続き、星野と宮﨑氏の二名がそれぞれコメントを加えた。以下ではそれぞれの主要な質問・コメントのみをピックアップする。(1)今回の講演の元となった『戦争を見る』では、近代戦争をめぐる多くの言説資料にとどまらず、複数の写真作品もまた考察の対象とされている。星野のコメントは、そこに登場するジェフ・ウォールとリュック・ドゥラエのようなタイプの異なる作家を同じ枠組みで扱うことは妥当なのか、妥当だとしたらそれはどのような意味においてか、という論点を提示するものであった。(2)また宮﨑氏は、カントからアガンベンにいたる「戦争の美学化」と「証言」の問題を振り返ったうえで、ドキュメンタリーとフィクションのあいだに位置するドゥラエの作品が、(かつてポール・ド・マンが主題化したような)「美学イデオロギー」に抵抗するものではないかという重要な論点を提示した。

その後もフロア、コメンテーターからさらなる質問が寄せられ、講演会は盛況のうちに終了した。近代戦争という主題をめぐるミェズコウスキー氏の議論は、単純な要約を許さないきわめて複雑なものであるが、豊富な図像資料と明快な「五つのテーゼ」を主軸に展開された今回の講演会は、その挑戦的な試みの一端を知るための絶好の機会であったと言えるだろう。

報告:星野 太(UTCP)

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