【報告】Workshop "Life, Existence and Ethics: The Philosophical Moment in East Asian Discourse"
2013.05.20
中島隆博, 石井剛, 小林康夫, 金杭
去る3月23日、東京大学駒場キャンパス10号館301号室にて、UTCPアジア哲学フォーラムの一つとして、Life, Existence and Ethics: The Philosophical Moment in East Asian Discourse(生命、存在和倫理:東亞話語的哲學契機)と題するワークショップが開催された。
本ワークショップでは、日本国内の研究者のほか、中国大陸、台湾、韓国からも東アジアの哲学を専門とする研究者を招き、英語と中国語で発表、討論が行われた。
ワークショップは台湾大学の黄俊傑先生の基調演説を以って始まった。黄先生は山田方谷の孟子の「養気」説に対する独創的な理解を分析し、方谷が気一元論の立場から朱熹を始めとする理気二元論を批判し、孟子にもともとあったヒューマニズムを回復しようと努めたと指摘した。発表の最後において、方谷の精神により21世紀東アジアは蘇ると結んだ。
その後の発表と討論は4つのセッションに分かれて行われた。第一セッションでは台湾からの林鎮国と黄文宏が、ともにハイデガーと東アジア哲学の視座で発表を行った。林鎮国はハイデガーの洞穴の比喩に対する理解から出発し、真理と自由概念がハイデガーにおいていかに分析され、転換されたかを示した。その上で、東アジアの真理と自由に関する二種類の思考様式をハイデガーのそれに照らし合わせ、現代においてどちらを選択すべきかを問うた。黄文宏はハイデガーの「実存論的独我論」を西田幾多郎の「絶対無」を通して眺め直し、ハイデガーの進路では完全に我を脱却することができず、他者は依然自我の拡張として扱われることになると論じ、自覚的方法としての現象学の方法は、西田の言うような「絶対否定の自覚」であるべきだと指摘した。
第二セッションでは韓国からの金杭と朝倉友海が発表を行った。金杭は韓国の植民地時代と戦後を貫き、政権にも多大な影響力を誇った哲学者Park Jong-hongを取り上げ、彼が帝国日本の「近代の超克」を受け継ぐ形で西洋の近代と異なる韓国の近代を構想し、ハイデガー理解を通して韓国独特のナショナリズムを築こうとしたことを論じた。朝倉友海は西田幾多郎の「場所」と牟宗三の「圓教」を比較し、両者が共に作用から存在へ、そして「無の場所」とでもいうべきところに到着したと論じ、それを通して京都学派と現代新儒家の意味ある比較を行い、東アジアの哲学に共通する論理を炙り出そうとした。
第三セッションでは賀照田と石井剛が発表した。賀照田は1980年に発生した若者の人生観に関する討論「潘暁討論」のなかで書かれた諸テキストを丹念に読み解き、当時の若者が感じていた空疎感から、中国大陸の急激な転換により、人々が組織化された共同体から放り出され、個人の精神、主体性の連続性を保つことの困難さを指摘した。そしてそれは1980年代の問題にとどまらず、1992年以降のより急激な市場経済へのシフトにおいても同様である。石井剛は藤村操の自殺を手がかりに、姉崎正治と高山樗牛の青年の「煩悶」に関する議論を取り上げた。明治日本が道徳言説を独占する国家であり、個人の主体性は国家に回収されると論じた上で、どうすれば国家に回収されない主体性を立ち上げ、そのような主体性を支える公共性をいかに構想するかという問いを提起した。
第四セッションでは中島隆博と志野好伸が発表した。中島隆博は中江兆民、井上円了、南方熊楠の霊魂論を取り上げ、とりわけ熊楠に紙幅を割いた。円了の国家、道徳指向の霊魂論とは異なり、熊楠はより世界指向であり、明治日本の権力に抵抗的であった。しかし、兆民の汎霊説的立場とも異なり、熊楠は我と他者の霊魂の転換を強調し、近代の主体を超えたところに、別の形の主体を樹立しようとしたと論じた。志野好伸は馮友蘭、胡適、蔡元培を対象に、「倫理学」という用語が中華民国期の哲学においての使用とその意味を考察した。馮友蘭、胡適は倫理学を狭い意味に限定し、「人生哲学」という用語を好んで使用し、中国と西洋哲学の正面衝突を避けながら、中国の伝統思想を哲学体系のなかに組み込んだ。一方、蔡元培は「倫理学」を使用し中国の伝統思想を論じたが、最終的には自己矛盾を来す結果となった。これにより、西洋の哲学体系と中国思想の素材の齟齬が浮き彫りになったと指摘した。
報告:張煒(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
関連するUTCPイベント
UTCP Asian Philosophy Forum Workshop "Life, Existence and Ethics: The Philosophical Moment in East Asian Discourse"
The Asian Philosophy Forum (APF) is a series of academic workshops and lectures organized by UTCP (The University of Tokyo Center for Philosophy) which seek to re-constitute philosophical critique based on East Asian thought as a common platform. Launched in Autumn of 2012, APF attempts to deconstruct nation-oriented philosophical discourse, such as “Japanese philosophy”, “Chinese philosophy”, “Korean philosophy”, etc.. In this workshop, “life”, “existence” and “ethics” are raised as three key concepts. We will explore different approaches to these problematics from the standpoint of an East Asian perspective.
Language: English or Mandarin Chinese
Participants:
HUANG Chun Chieh (黃俊傑) National Taiwan University, Taiwan
LIN Chen Kuo (林鎮國) National Chengchi University, Taiwan
KOBAYASHI Yasuo (小林康夫) The University of Tokyo, Japan
HUANG Wen-hong (黃文宏) National Tsing Hua University, Taiwan
HE Zhaotian (賀照田) Chinese Academy of Social Sciences, China
NAKAJIMA Takahiro (中島隆博) The University of Tokyo, Japan
SHINO Yoshinobu (志野好伸) Meiji University, Japan
KIM Hang (金杭) Yonsei University, Korea
ASAKURA Tomomi (朝倉友海) Hokkaido University of Education, Japan
ISHII Tsuyoshi (石井剛) The University of Tokyo, Japan
Timetable:
10:00-10:20 Opening Remarks KOBAYASHI Yasuo
10:20-11:00 Keynote Speech HUANG Chun Chieh
11:10-12:30 1st Session
LIN Chen Kuo: 真理與自由—談中國哲學的二種型態
HUANG Wen-Hong: 海德格爾與西田論他者的經驗
Commentator: ASAKURA Tomomi
Moderator: NAKAJIMA Takahiro
13:30-14:50 2nd Session
KIM Hang:
Heideggerian Nationalism, or Overcoming Modernity?
ASAKURA Tomomi: Basho and Perfect Teaching
Commentator: NAKAJIMA Takahiro
Moderator: LIN Chen Kuo
15:10-16:30 3rd Session
HE Zhaotian:
“潘曉討論”和當代中國大陸虛無主義的歷史與觀念構造
ISHII Tsuyoshi: 姊崎正治和高山樗牛關於“煩悶”的討論
Commentator: SHINO Yoshinobu
Moderator: HUANG Wen-Hong
16:30-17:50 4th Session
NAKAJIMA Takahiro:
靈魂的存在與國家的道德—中江兆民、井上圓了、南方熊楠
SHINO Yoshinobu:
民國時期的哲學分類及其中倫理學的地位
Commentator: HE Zhaotian
Moderator: ISHII Tsuyoshi
17:50-18:00 Concluding Remark HUANG Chun Chieh