梶谷真司「邂逅の記録50:ビジネスと哲学」
2013.05.29 ビジネスと哲学
5月22日と25日、ルー・マリノフ氏によるビジネスマン向けのワークショップが本郷キャンパスの伊藤国際学術研究センターで行われた。彼を呼んだ主たる目的は、むしろこちらのほうである。水曜日は通訳付きにして一般に開放し、土曜日は通訳なしで、海外でも活躍してきた人たちに限定して行った。どちらも基本的には同じ内容で、前半は哲学がビジネスで果たす役割を列挙して説明してもらい、後半はワークショップ形式でゲーム的なエクササイズをしながら、来場者も参加する形で行われた。
マリノフ氏の言うビジネスにとっての哲学の役割は、①会社の理念、方針を内外に対して明確にすること、②職業上の倫理規定とその実践のためのアドバイス、③社会的責任や慈善活動についてのアドバイス、④環境に関わる責任・取り組みに関する助言、⑤財産の所有や管理についての助言、⑥芸術の支援に関するアドバイス、⑦リーダーシップと起業家精神の育成のサポート、⑨革新のための教育のサポート、⑨仕事へのやる気を起こさせるためのアドバイス、である。
マリノフ氏はこの9つのポイントをそれぞれ実例、体験を交えて話したが、そのなかでもとりわけ印象的だったのは、会社の理念なり、倫理規定なり、ただたんに教科書的なこと、どこかに書いてありそうなことを明文化して与えるだけではなく、それをクライアント自身が考え、明らかにし、さらには、それを内外に対して示すことを目指している点である。いくら高邁で理論的には完全な理念や規定を作ることができても、それが実践的に生かされるものでなく、たとえば、たんに壁に貼ったり印刷物にしておしまいになったり、社員が身につけることもなく、また社会にも伝わらなければ、それはなかったのと同じになる。
彼が言っていたように、「正義がなされるだけでは不十分だ。それが見えるようにしなければならない」のである。こうした透明性は、たんに企業に倫理的に求められているとか、あるいは周りに認められなければ、社会的な評判の向上につながらない、という打算だけではないだろう。他者を意識しなければ、自覚も生まれず、自覚がなければ、結局のところどんな思考であれ、それは明確な形ももたず、私たちを導く力はもちえないのである。そしてそこでは、自分自身(その会社)の置かれている立場、社会的役割、目指すべき、あるいは新たに生み出すべき価値観について問い、反省し、洞察することが必要になる。その意味で、こうしたコンサルティングの作業は、それじたいが哲学的なプロセスと言っていい。これら9つのトピックに加え、マリノフ氏は哲学カフェ、ジレンマトレーニング、ソクラテス問答法、戦略ゲームについて説明した。これらは、個別のトピックというより、哲学プラクティス一般の方法論であって、いろいろなところで使うことができる。とくにソクラテス問答法については、哲学を知らない素人6~7人がこの方法によって一緒に考えることで、歴史上の哲学者よりもすぐれた物事の理解に達することができるのを、をマリノフ氏は、「希望(Hope)とは何か」という問題を例にして示した。
このように問い、考える方法を知っていて、適切な導きがあれば、(常にではないにせよ)個々の哲学者に匹敵する、場合によってはそれ以上の洞察を得ることができる。このことは、哲学者が生み出してきた思想や理論の価値を貶めるわけではないが、難解で一般の人には近づきにくかった哲学を誰でも手が届くものにしたという点で、哲学プラクティスの画期的な力を示すものである。その一端を参加者は垣間見たであろう。
さて、後半のワークショップでは、囚人のジレンマとその応用ヴァージョンを使って、個々人の意思決定が、全体としてどのような結果を生み出すかを実際に皆で試し、討論した。このジレンマトレーニングのポイントは、以下のようなことである――互いに協力的な選択をすれば、最大ではないが、みんなが利益を得ることができる。他方で自分が他の人より得をする選択もあるが、そのような選択をする人が増えれば、全員で利益を奪い合い、結局はそれぞれの受け取る利益は少なくなり、場合によってはなくなってしまう(最悪の場合、マイナスになる)。こうしたジレンマは、天然資源や食糧、経済的な利益の追求など、さまざまなところで見ることができ、最終的にどのような戦略を取るのがいいのか、どのような方向へ向かうべきかについて考えるための、明確な手掛かりを与えてくれる。参加者の何人かから後で感想を聞いたが、それぞれが自分の課題として考えるヒントを受け取っていたようだった。哲学対話と同様、哲学プラクティスの神髄は、人から何を学ぶかではなく、自分自身が何を考えるかにある。そこに決まった答えや成果はないが、だからこそ、かえって普遍的な価値があるのではないだろうか。