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【報告】「共生のための障害の哲学」シンポジウム:専門知と当事者研究をつないで

2013.05.15 石原孝二, 稲原美苗, 岩川ありさ, 綾屋紗月, 熊谷晋一郎, 共生のための障害の哲学

2012年7月28日、上廣共生哲学寄付研究部門L2「共生のための障害の哲学」プロジェクトのキックオフイベント「共生のための障害の哲学シンポジウム――専門知と当事者研究をつないで」が開催された。

 本シンポジウムでは、これまで発達障害の当事者研究を続けてきた綾屋紗月氏、小児科医で、脳性マヒの当事者研究をとおして、「痛み」や「記憶」の問題について発言している熊谷晋一郎氏、また、構音障害をめぐる当事者研究を行っている稲原美苗氏を迎えて、「障害の哲学」をめぐる新たな展開について話しあった。本シンポジウムで主題となったのは、障害を研究する枠組み自体を当事者が問い、「専門知」と「当事者の知」を繋ぐことはできるかということである。専門家が一方的にあてる尺度ではなくて、「ものさし」自体を当事者たちがデザインすることで、「専門知」と当事者研究は結ばれる可能性に開かれるのではないか。とりわけ、仲間たちのあいだで、語るための言葉を見出し、経験を共有することによって、自分たちが納得し、信頼に値するような知を積み重ねてきた当事者研究の実践を専門知と繋ぐことで、互いに協働することができないか。そのような意図のもとで、本シンポジウムは行われ、それぞれの方のご発表によって、大きな成果を得た。

 綾屋紗月氏は、「方法としての当事者研究」という発表を行った。従来、発達障害者が自助グループを運営することは、「心の理論」に問題があり社会性の障害を持った自閉症者にとって難しいとされてきた。しかし、綾屋氏は、「社会性・コミュニケーションの障害」とされて発達障害者の側の責任にされてきた問題を、あくまでも両者のあいだで行うコミュニケーションの仕方の異なりであると考えることによって、コミュニケーションのあり方について、相互作用として考察するための可能性を示した。綾屋氏は、二年前から、大人の発達障害当事者による、大人の発達障害当事者のための就労支援施設Neccoを中心に、当事者研究の実践を行い、仲間とともに自分たちの生きづらさを言語化し、仲間たちのあいだで言葉を伝達してゆく実践を行っている。綾屋氏の研究実践は、「多数派」によって構成された知のあり方を問い直し、当事者研究によって仲間たちと経験や感覚を分かちあうことで、新たな知の可能性を示そうとするものである。そして、この当事者研究のネットワークが生み出した知を、現象学や哲学、エスノメソドロジーやオーラル・ヒストリーの研究と繋ぐことで、相互にフィードバックする研究の可能性がもたらされるかもしれない。綾屋氏の発表で問われた射程は、当事者研究のネットワークによって生み出された知が、他の研究とつながる地平である。

 続いて、綾屋氏の発表と響きあうかたちで、熊谷晋一郎氏は、「当事者研究の自然化の試み」という発表を行った。熊谷氏は、綾屋氏の問題意識に言及しながら、発達障害研究は、抽象度の高い「社会性」などの構成概念を、高次中枢や特定の神経修飾物質の機能に見出そうとしてきたが、そもそも社会性という概念は、歴史的・文化的要因によって影響を受けるものであり、個体側の特性とするには慎重さが必要であると述べる。この問題に対して、綾屋氏と熊谷氏が中心となって行っている当事者研究が示唆するのは、感覚運動レベルの「情報のまとめあげ困難」こそが根底にある個体側の特性であり、それがある社会的条件のもとで「社会性の障害」というかたちで記述されうるという可能性である。熊谷氏は、そうした社会的条件の影響を指摘したのち、現在必要なのは、感覚運動レベルの特性を明らかにし、それをふまえて、「なぜ現代のコミュニケーション様式は、その特性に合わないのか」、「どのような支援があれば、特性に合ったコミュニケーションが成立するか」を具体的に考えていく研究であるという提起を行う。本シンポジウムでは、そうした研究の例として、熊谷氏らが行っている聴覚過敏研究をあげ、当事者と専門家の共同によって質問紙を作成し、それを使って当事者を対象とした質問紙票調査を行うプロセスや、実験デザインや条件を設定するプロセスに当事者が介入することで、より再現性の高いデータが得られる様子などの紹介が行われた。こうした実践を通して、仮説の生成、観測尺度の作成、観測のための実験デザインや条件設定など、研究の各段階に当事者が参画する可能性が開かれることは確かであり、本シンポジウムが提起したのは、当事者が、研究の尺度やデザインの作成を行うということの重要性である。

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 最後に、稲原美苗氏は、「拒絶される声:間主観的言語障害学の可能性と当事者研究」という発表を行った。稲原氏の発表では、構音障害者が社会生活に参加できるように支援するという言語療法学の役割を再考するために、哲学との融合が必要だということが提起された。コミュニケーションの障害(ここでは構音障害)をもつ当事者は、日常会話において特定の問題に遭遇しているが、コミュニケーション能力が全くないわけではない。稲原氏の発表では、「円滑なコミュニケーションを実現する上で、構音障害をもつ当事者の努力のみが求められるべきなのか」という問いを立て、その問いに答えるために、ヴィトゲンシュタインの「声の間主観性」に着目し、コミュニケーションについて再考した。特に、脳性マヒによる構音障害を抱えている稲原氏自身の経験を紹介し、声によるコミュニケーションにおいて、標準的な音声言語を発声できないために構音障害を抱えている側に原因があるように思われることが多いが、聴き手の認識力不足も関係しているのではないかという点について議論を行った。その上で、稲原氏は、普遍的に分かりやすい音声が〈人間の声〉だと定めている規範の呪縛から、多様な声の可能性を考える哲学的なアプローチを考察し、新たな「声の倫理学」を展開するための視座を提示した。

 本シンポジウムでは、それぞれの発表によって、専門知と当事者研究をつなぎ、協働するための議論のプラットフォームを示した。専門家が一方的にあてる尺度ではなくて、「ものさし」自体を当事者たちがデザインする試みはすでにはじまっているのだ。また、本シンポジウムでの成果は、その後、2012年11月29日・30日には、「UTCP/PhDC×浦河べてるの家討論会「当事者研究の現象学3」、2013年3月30日(土)・31日には、「第1回「障害の哲学」国際会議:障害学と当事者研究――当事者研究の国際化に向けて」などの「共生のための障害の哲学」のイベントに継承され、綾屋氏、熊谷氏も執筆者として加わった書物『当事者研究の研究』(石原孝二(編)、医学書院、2013)にも結実した。

*本記事を書くにあたって、綾屋紗月氏、熊谷晋一郎氏、稲原美苗氏に資料を提供していただいた。いつも刺激を受ける、それぞれの方との議論も含めて、三人の登壇者の皆さんに感謝したい。

報告:岩川ありさ

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