梶谷真司「邂逅の記録46:「母」をめぐる哲学対話(2)」
2013.04.16 「母」をめぐる哲学対話(2)
《心地よい衝撃》
当日、参加者は研究会やUTCPのスタッフも入れて60人を超えた。来客だけでも50人はいただろう。子育て中のお母さんがおそらく25人前後、男性が15人くらい、年齢層は、20歳くらいの学生から80代の人までいた。託児も付けたので、子連れで参加したお母さん、夫婦もたくさんいた。子供は全部で12人預かることになった。今回は申込制で、当初は30,40代の母親ばかりで育児サークルみたいになってしまうのではないかと少し心配したが、最終的には様々な人の協力もあり、非常にたくさんのバラエティに富んだ人たちが来てくださった。
ワークショップの初めに、私が「前編」で書いたような趣旨、経緯を皆に話した。そして松川さんにバトンタッチ。彼女は、神戸のグリーングラスという育児サークルで続けている哲学対話の活動について紹介してくれた。そこでは、彼女がイラストを交えて(松川さんは漫画家希望だったらしく、イラストがめちゃめちゃうまい)、子どもが遊んだりケンカしたり、泣いたり騒いだりしているところで、様々なテーマで対話をしてきた。例えば、 「怒ることと叱ること」、「自分の時間/家族の時間」、「夫はどうあるべきか?」、「友達を使い分けることはできるか?」、「正直なのはよいことか?」、「人はなぜ自己嫌悪するのか?」など、いずれも母親にとって切実な問題であるとともに、普遍性も備えたテーマである。最初は雑談でも、次第に、あるいは突然、議論が深まり、哲学的な次元が開かれるという。
そして参加した母親からは、「他の人と意見がちがっても、それぞれの意見が尊重されるので安心して話せる」、「私ってこんなふうに考えてたんだ!」、「みんなが先生で、みんなが生徒。お互いに学び合える場」というような感想が出る。こうした安心して語れる空間、自分自身への気づき、互いの学び合いという経験は、日常生活の中では意外なほど少ない。親子や夫婦の間ですら、そのようなことは稀ではないか。そればかりではない。何より単純に楽しいし、語り合うことで気分が晴れやかになるという効果もある。さらには、「夫や子ども、学校の先生と話せるようになった」という育児サークルを超えたところでの変化もある。
このように対話そのものの展開についても、参加者の感想についても、哲学対話でよくある現象が、育児サークルでも起こるのだ。そして実際、今回も同様のことが起きることになる。
松川さんのイントロダクションに続いて、いよいよ哲学対話に入っていくわけだが、ここで再び立教大学の河野哲也さんと茨城大学の土屋陽介さんにご協力いただいた。哲学対話のワークショップでは一般的なことだが、本格的な対話に入る前に、「アイスブレイク」ということが行われる。これは、ゲームのようなことをすることが多く、場の雰囲気を和らげ、参加者どうしが互いに親しむようにする意味がある。この日は「自分の知らない人、自分と似ていないと思う人を探して、自己紹介をする」というものだった。すべての椅子を脇にのけて、会場の中を参加者が縦横に歩き回り、次々に相手を探して自己紹介をする。その間わずか数分なのだが、これだけで互いに見ず知らずの人の間に共感、連帯感が生まれる。
これがあるのとないのとでは、その後の対話のしやすさがまったく違ってくる。たんに自由に発言できるだけでなく、それがしやすい環境作りが重要なのだ。その後6人でサークル状になって座る。知らない人どうしで、年齢もできるだけ違う人がグループになる。必ず男性が一人、二人入るようにする。こうやっていろんな人が一緒になることで、意見に多様性が生まれ、対話がより深まり、広がるのだ。
ここからが前半のセッション。まずは誰にとっても共通のテーマを取り上げることにした。松川さんとの打ち合わせで、前もって「自由」を選んでいた。そして自由にまつわる問いを7つほど用意した。「したいこと、なんでもできる?」、「みんながいると自由にできない?」、「大きくならなきゃ自由になれない?」、「自由って何の役に立つの?」等々。これらの中から例によって投票で選び、最終的に「自由だと感じるのはどんなとき?」に決まった。
やり方は相互問答法と言って、最初の一人がこの質問に答え、残りの人はその答えに対してまた別の質問を順番に投げかけ、回答役の人は次々出てくる質問にひたすら答えていく。5分で交代し、それを全員が回るまで行う。今回は6人のグループだったので、トータルで30分の対話である。答えるほうも質問するほうも急ぐ必要はなく、ゆっくり考え、悩みながらやればいい。
ファシリテーターはどのグループにもおらず、参加者だけで話を続けていく。松川さんと河野さんと土屋さん、私は会場全体を眺めながら、雑談しているだけ。けれども、どのグループも対話に夢中になっているのが、みんなの表情を見ているだけでよく分かる。60人いるみんなが前のめりになり、時に考え込み、目を輝かせて話をしている。この前半のセッションが終わり、休憩時間になったのだが、多くのグループがそのまま対話を続けている。終わってしまうのが、休む時間がもったいないかのように。これがお互い今日初めて会った人たちの間の対話なのだ。このような奇跡のような出来事がごく自然に起こる。何度見ても心地よい衝撃である。
(続く)