梶谷真司「邂逅の記録45:「母」をめぐる哲学対話(1)」
2013.04.14 「母」をめぐる哲学対話(1)
《なぜ「母」なのか》
4月6日(土)、P4Eプロジェクトが4月に本格始動して初めてのイベントを開催した。今回は「母」をテーマにした。子育て中のお母さんたちをたくさん呼び、そこにさらに学生、独身者、結婚はしているがまだ子供がいない人、すでに子育てを終えた年配の人も来てもらった。夫婦で参加してくれた人もいたし、託児をつけたので子連れでも来られるようにした。たんなる育児サークル的な集まりにするのではなく、あくまで「母」を通して母である人たちとともにいろんな人が語る場を作りたかった。
では、なぜ「母」で哲学なのか。母親と哲学というのはかなり遠い感じがする。「母」が哲学のテーマになることはまずないし(『哲学事典』にも項目はない)、子育て中のお母さんが哲学書・思想書を読んでいる光景というのも、想像しにくい。しかし、誰でもそれに関して何らかの経験があり、予備知識なしに自分の立場から考え、語ることができるという点で、哲学対話のテーマの条件を完全に満たしている。それに普段はない組み合わせだし、いわゆる哲学では扱われないという意味でも、哲学対話の可能性を試すにはうってつけだ。
「母」でやりたかった理由は他にもある。私は東大に来る以前、帝京大学というところに勤めていて、大学の近くに住んでいたし(自転車で15分)、大学の仕事も対して忙しくはなかった。そのため子供を幼稚園に送り迎えたり、真昼間からスーパーに買い物に行って、近所のお母さんたちとぺちゃくちゃ立ち話をする機会が多かった。それに家にいる時間が長いので、かみさんから母親どうしの会話の中身をたっぷり聞いていた。おかげで、世のお母さんたちが何に興味をもち、何を心配し、どんなことを考え、悩んでいるのかよく分かっていた。それにたぶん――これが一番大きいと思うのだが――私自身が「おばさん」気質なのだ。主婦やお母さんたちのおしゃべりは、会社で働いている人たちから見れば、些細で下らないと思われがちだ。だからとくに専業主婦、子育て中の母親は、世間知らずで気楽だと言われる。けれども私は、こういう日常の些細な話が好きだ。単純に楽しいし、いろいろ考えさせられる。
だがそれだけではない。彼女たちは、身近な問題、とくに子育てに関わる様々な問題を通して、社会を広く見ている。自然環境、生活環境、社会規範、家族のあり方、人間の成長、等々。それも子どもが育った後の将来、10年、20年先のことまで考えている。こんな先のことを生活に密着した形で当たり前のように考えられるのは、母親以外誰がいるのだろうか。会社で働いていれば、せいぜい1年先、下手をすれば、今月、今週のことしか考えられないことも多い。
それに今どきの母たちは、結婚・出産前は会社で働いている人がほとんどなので、本当の世間知らずはあまりいない。一回働いて、そこから距離を取っている分、世の中を冷静に見ている面もある。彼女たちは、かなり多面的に物を捉えている。そういう視点は、会社で働いているだけのいわゆる「社会人」にはない。だから「母」はテーマとして面白いだけでなく、世の母たちは、対話の相手としても面白いのだ。だから母たちと、その他のいろんな立場、年齢の人たちが語り合えば、絶対に面白いはずだ。
こんなことを考えていて、昨年の秋の週末だったと思うが、学校で哲学対話の授業をやっておられる土屋陽介さんの研究会で、大阪カフェフィロの松川絵里さんに出会った。話しているうちに、大阪で育児サークルのママさんたちを相手に哲学対話を何年もしていると聞いた。松川さんがいれば、やれる。これは、やるしかない。
(続く)