梶谷真司「邂逅の記録44:U-18てつがくカフェ」
4月7日 U-18てつがくカフェ「震災についての対話リレー」
3月30日の土曜日、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの本間直樹さんと高橋綾さんがやってきた。二人とも、カフェフィロとともに歩み、日本の哲学対話をリードしてきた人物である。ずっとお二人には会いたいと思っていてなかなか機会がなかったが、今回、彼らが中高生を相手に続けてきた「震災についての対話リレー」を東京で開催するお手伝いをさせていただくことになり、ようやく会えた次第である。
高校生の参加者は二人であったが(もっとも基本的に高校生の参加者は4、5人くらいであって、今回が特別少なかったわけではない)、おかげで私の娘二人(8歳と11歳)と私と、RAの神戸さんも加わり、計6人で対話を行った。ファシリテーターは高橋さんで、本間さんはビデオ撮影担当だった。この企画は、宮城・福島・大阪の中高生が震災やその後の生活について、高橋さんと語る映像を見て、さらにこちらで高橋さんと語る、というタイトル通り、リレー形式の哲学対話である。
宮城のある女の子は、家族を失った人に比べれば、自分は被災者とは言えない、津波で壊滅した地域を自分たちが見に行くのは、野次馬なのかもしれない、と言った。そこから、じゃあ誰が野次馬なのか、現地の人から野次馬のように見えても、関心をもつだけいいんじゃないか、・・・といった話が、大阪の高校生にも受け取られ、広がる。他にも、ある女の子は「原発反対とか言うけど、そういう人は結局何もできないでしょ」と少し遠慮しつつもいらだちながら話していた。
それを受けて私たちも、いろんなことを話した。中でも「復興」と「復旧」ってどう違うんだろう、という疑問が出され、そこから、何をもって復興というのかという問いをめぐってつっこんだやりとりができた。さらには、子どもたちに指名されて、カメラマンとして撮影していた本間さんまで対話に加わった。
人数が少なかったこともあり、中高生どうしが語るという企画をはみ出して、学生や私、主催者までが参加するという、いささか変則的な形になったが、個人的には、そのような対話の中に自分が入れて、貴重な体験ができた。中高生が自分の言葉で語ることは、マスメディアやそれを見る視聴者が期待するようなドラマチックなことではない。些細で、日常的で、身近なことだ。でも、だからこそ彼らの切実な思いが込められている。それが文字ではなく、映像として出会われることで、彼ら、彼女らが話す時の息づかい、口調、声の大きさ、時おり言葉に詰まったり、言葉を頑張って絞り出す様子が、言語化されない彼らの思いを伝えてくる。まさにリレーのごとく、彼らから私たちは、言葉と思いというバトンを受け取る感覚がする。そしてそれをまたどこかへ持っていき、誰かに渡したくなる。そんな時間だった。
この企画は、最初に概要を聞いただけでは、どのようなものなのかよく分からなかった。けれども、直接会って話しているのでもなく、かといって文字による報告でもなく、またビデオレターのようにこちらに向けて話しかけてくるのでもない。向こうで行われている対話を、あくまでスクリーンを通してみることによってのみ開かれる対話空間があるのだということが分かった。
やっぱり高橋さんと本間さん、面白いことやるなあ、と感心した。