【報告】講演&ワークショップ:松川絵里「『研究』ではない哲学――カフェフィロの活動」
2月2日、駒場キャンパスにて、松川絵里さんの講演会およびワークショップ「『研究』ではない哲学――カフェフィロの活動」が行われた。カフェフィロは、大阪を拠点として、哲学対話の活動を推進している組織であり、今回はその活動の意義と内容を中心にお話しいただいた。
前半が講演会、後半がワークショップという構成であったが、講演の内容については梶谷先生のブログ記事に詳しいので、そちらをご覧いただきたい。
ここでは、後半のワークショップについて報告したい。
ワークショップでは、実際に松川さんをファシリテーターとし、全員参加で哲学対話の体験が行われた。まず、テーマの候補が参加者からいくつか出されたが、この日のテーマは「恋愛」に決まった。見知らぬ大人同士が顔を付き合わせて語り合うにはやや照れくさく、またどのようにアプローチすれば"哲学的"に語ることができるのか、難しく感じられるテーマであった。しかしその難しさにより、かえって、松川さんのファシリテーションの様々な技術を見ることができたように思う。
対話のはじめは、参加者もこの曖昧なテーマの何について語るべきかわからず、普段感じている恋愛にまつわる印象、実際にあった出来事、恋愛という言葉の使い方、他のことがら(たとえば結婚)との関係など、焦点を絞り切れない語りがバラバラに出てくる。これらの多様な語りの中から、その日の参加者の関心の核がどこにあるのかを掴み出すのが、ファシリテーターの第一の役割だ。それは、語られた内容同士の関係を明らかにしていく中で実現していくものではあるが、その整理だけで可能になるものでもない。命題や概念の関係を適切に見抜く哲学の技術と、立ち位置や声のトーン、話すタイミングなどに関わるファシリテーション独特の技術との、両方が必要となる。
戸惑いの中で始まったその日の哲学対話は、知らず知らずのうちに「愛には種類や段階があるのか」や「人間が取り結ぶ関係と、そこに生まれる情緒との、関連は何か」というような問いに収束していき、より深い思索へと導かれることとなった。このときファシリテーターが行うのは、一人ひとりの意見の内容と、議論全体での位置を、確認していくことだけだ。しかしその確認によって確実に、全体の理解度が高まり、議論が促進される。哲学対話におけるファシリテーションの技術の重要性を思い知らされた。
その後の質疑応答では、「一人で話しすぎる人がいたときはどうする?」「他の人が理解できないような専門知識ばかり話す人がいたら?」といったプラクティカルな質問も多く出たが、これらへの効果的な対処法が実は、哲学の原則に従うものであったことが非常に印象的であった。一面的で極端な主張には、他者の視点から吟味を加える。他者の思考や特殊な概念は、自分がどのように解釈しているのか明白にした上で適用する。というように、対話の場面に独特のように思われる問題も、誠実に哲学的思考を行うことで解決できる。また、一見、思考と無関係に思われるファシリテーターの身体的技術も、哲学的な思考をその場で実現していくためにある。
どのような形態であれ哲学対話に関わる人々にとって、松川さんの卓越した技術に実際に触れたことは、非常に有意義であったと思う。また、カフェでの哲学対話のような、単に楽しむための、参加者にとっては趣味であるような活動が、実は専門性の高い技術に支えられていること、そして哲学の理念のもとにあるということが示されたことは、今後「Philosophy for Everyone」の発展を目指す上で示唆的であった。
(神戸和佳子)