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梶谷真司「邂逅の記録41:P4E(Philosophy for Everyone)への道(11)」

2013.02.01 梶谷真司, Philosophy for Everyone

《哲学をすべての人に》

 ひと昔前まで、哲学はただ難しいだけで、何の役に立つのか分からないというイメージが強かった。実際、大学で行われていた教養としての哲学の講義は、その“期待”を裏切らないものだった。それに対して、当の哲学者たちは「役に立たないから価値があるんだ」と開き直っていた。もちろん、言わんとしていたのは、好意的に解釈するなら、「哲学は実用品ではない」、功利主義的な意味で役に立つものではない、ということだ。「教養」じたいがそういう性格をもっているわけだから、教養の最たるものとしての哲学も役に立たなくて当然。それが哲学の矜持でもあったろう。とはいえそれは、どんな役立たずの哲学研究でもいいという、隠れ蓑になっていた面がある。
 しかし、いつの頃からか、哲学を取り巻く状況は変わった。環境問題や医療問題が様々な形で噴出してきて、科学や技術だけでは解決できない、とりわけ倫理的な問題を提起した。それに呼応するように、環境倫理や生命倫理のような応用倫理学が登場し、脚光を浴びるようになった。そして哲学は実践的でなくてはならない!と主張されるようになった。
 おそらくその背景には、国家の財政難や少子化や国際化で、大学が競争にさらされるようになり、大学が国公立も含めて、経済的な効率(学部学科ごとの学生数、就職率)を重視せざるをえなくなったこと、そして個人としても大学としても外部資金を獲得するよう駆り立てられるようになったことが絡んでいる。つまり、哲学といえども、社会の需要に応じなければ存続できなくなってきたのだ。さもなければ、研究費は削られ、ポストは減らされ、就職も難しくなる、というプレッシャーがかかっていった。そしてかつてだったらむしろ敬遠されたような実用性=「社会に直接役に立つ」ことを求められたし、多くの哲学者が背に腹は代えられないと、その方向へシフトした。
「役に立たないから価値がある」とする哲学は、一時的な現象だったのかもしれない。国家が経済成長し、大学に経済効率を求めず予算を割り当て、「学問の自由」を保証し、子供の数が増え、大学の数と定員が増え、ポストが増え・・・といった好循環のおかげで、役立たずの哲学研究をしていても就職ができた。それは哲学にとって、幸運なことだっただろう。けれども、それはあくまで時代状況に支えられてのことだ。そういう「古き良き時代」が過ぎ去ってしまい、とにもかくにも哲学は応用倫理として、世のため人のためをアピールするようになった。
 確かに倫理的な問題は広く社会で共有されるものであり、それによって哲学は多くの人の関心を引くようになった。だが、結局そこでも哲学は高度に専門的であり、しかもそれは応用倫理学である以上、哲学をしたければ、まずは基礎となる古典を学び、そのうえで応用すべきだ、という理屈になる。哲学はやはり哲学者のものであり、哲学者はあくまでプロフェッショナルであり続け、一般の人がもっていない知識をもっていることが存在意義だった。だから応用倫理でもなお、哲学はすべての人のものではなく、一般の人は、いわば観客にすぎなかった。
 それでも応用倫理は、哲学が一般の人には縁遠い、訳の分からないものなのだというイメージを変え、哲学への興味を広く喚起した。そしておそらくそのころからであろうが、哲学をやさしく解説する本や、一般向けの入門書が出版されるようになった。だがここでもなお多くの人は、哲学という営みにおいて受動的な位置にある。彼らは哲学的な知識や思考を受信し、消費するのであって、発信し、生産するのはやはり哲学者であった。
 哲学をすべての人に開かれたものにするためには、誰もが哲学を発信し、生産できるようにならなければいけない。それが対話の実践である。哲学カフェやP4Cは、まさにそのような場である。そこには専門家も素人もない。大人も子供もない。それは、専門的に見れば、大した独創性はないだろう。どのような人であろうと、対話をする人たち、その場にいる人たちみんなにとって、そこで生まれる思考は、その時その時で一回的であり、その意味でそのつど新しく、オリジナルなのである。
 このような共同の思索としての対話は、古代ギリシャ以来、そもそも哲学の原点ではなかったか。哲学はこの原点に返ることによって、すべての人のものになりうるのだ。かつて哲学的な対話をしうるのは、ごく限られた人だけであった。したがって今日の課題は、そうした対話の場をどこでどのような形で生み出していくか、である。P4Eの存在意義も成否もそこにかかっている。

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