梶谷真司「邂逅の記録39: P4E(Philosophy for Everyone)への道(9)
《もう一つのP4C》
Philosophy for Everyoneを構想するのに、大きなきっかけになった出会いがある。前回述べたように、ハワイのエイムズ邸で開かれたパーティーに、日本で道徳教育に携わっている先生の一団がいた。彼らは、上廣倫理財団が行っている日本とハワイの教員交流事業でP4Cの見学に来たとのことだった。そのコーディネーター役として、ワークショップで講演していただいた兵庫県立大学の豊田光世さんもおられた。後で知ったのだが、実は彼女こそ、日本にP4Cを紹介し、上廣倫理財団と結びつけた人物である。
パーティーで豊田さんとそれほど多く喋ったわけではなかったが、彼女の話はとても印象的だった。どんなことをしているのか聞いたところ、佐渡島でトキを自然に戻す活動をしており、そのためにP4Cの手法を用いてコミュニティ作りをしているという。そして彼女は静かな口調でこう言った。
「私にとってP4Cというのは、Philosophy for Communityでもあるんです」
コミュニティのための哲学。子供や教育のためだけではない 、共同体のための哲学、社会のための哲学・・・結局P4Cは、子供のみならず大人も含め、社会の様々なところで活かせる哲学対話の方法なのだ。彼女の言葉で私は視界が一気に開けたように感じた。
ただその時は、私自身まだP4Cは未体験だったし、豊田さんの活動も詳しく知らなかった。だから彼女の話を聞いても、本当のところはよく分かっていなかった。その真意と真価について、具体的なイメージをもったのは、後に豊田さんが送って下さったP4Cと佐渡の活動についての論文を読んだ時だった──この人は、P4Cの最前線にいて、そのポテンシャルを最もよく見せてくれる人だ。何としてでももう一度会って、詳しく話を聞きたい・・・ということで、豊田さんにもワークショップに来ていただいたわけである。
実際に話を聞いて、その大変さも、大切さも、意義も成果も、想像以上だった。何十回にもわたる地元の人との対話、それも、哲学カフェや今回のワークショップのように、希望する人たち相手ではなく、むしろ乗り気ではない、あるいは、拒絶する人たちとの対話。コミュニティのための哲学でありながら、下手をすれば、利害が衝突したり、お互い腹の中に隠していた嫌な本音が露呈し、コミュニティを崩壊させてしまうかもしれない・・・豊田さんは、そんな緊張感の中、一回一回、文字通り真剣勝負の対話を何年も、根気よく続けてこられた。それはほとんど戦いと言ってもいいほどだ。それでも彼女は、きっといつも静かに、細やかな思いやりと折れることのない志をもって続けてこられたのだと思う。
そうして豊田さんを言わば触媒にして、その時々の対話の場に互いに敬意をもって率直に語りうる「安心感(safety)」が生まれる。やがて人々が変わり、コミュニティがまとまり、動き出す。それまでただ国や“有識者”の出来合いのプランを受け入れるか拒絶するかしかなかった能登の人たちが、自らのイニシアティヴを発揮し、コミュニティとその未来のために行動するようになる。対話の力とはこういうものか、と感銘を覚えた。
豊田さんの挑戦は、日本全体の今後あるべきコミュニティ作りにとって、強力な武器になりうる可能性を秘めているような気がした。と同時に、彼女のような稀有な人が、いったい何人、何年奮闘しないといけないのかと思うと、気が遠くなる。それでも、こうした対話のメソッドを実践していくことは、日本を少しずつでも、大きく変えていく力をもっているにちがいない。そうして原発に象徴されるような国家の横暴から、人々が初めて本当の意味での主権を獲得し、共同体を作っていけるのではないか──私は彼女の話を聞きながら、そんな壮大な希望に思いを巡らせた。本当にChildrenからCommunityまでカバーできれば、哲学はきっと、まさしく「すべての人」のものとなるのだ。
(続く)