Blog / ブログ

 

梶谷真司「邂逅の記録28:ワークショップ 「哲学をすべての人に」報告(2)」

2012.11.13 梶谷真司, Philosophy for Everyone

(続き)

121113_kajitani01.jpg

5人のグループワークの後は、3グループが一緒になって対話をする。当初は3つのグループで行う予定だったが、来場者多数のため、4つのグループを作った。そこに河野さん、土屋さん、綿内さん、そしていつも土屋さんと活動している村瀬さんが、ファシリテーターとなって対話を進めていった。
土屋さんと村瀬さんは、大学でも教えながら、小中高で哲学対話の授業をしておられる。特に土屋さんは、今や哲学教育では第一人者で、海外の事情にも詳しく、実践経験も豊富である。綿内さんは長野県の公立高校の社会科の先生で、まさに哲学教育の最前線である現場で奮闘しておられる人である。みんな30代の若き闘士たちである。
さて、哲学対話では、最初に5人でやっていたときにどんな意見が出たか、各グループから一人が代表でまとめ、必要があれば、他の人が補足する、というところから始まった。私は河野さんがファシリテーターをするグループにいた。彼は意見が出るたびに、「それはどうしてですか」「例えばどんなことですか」といった具合に問いを重ねていく。そしてやがてテーマは、「幸せには、他者との関係が必ずあるのか、それとも全く一人だけの幸せというのもあるのか」に絞られ、それについてさらに対話を進めていった。

121113_kajitani02.jpg

実際に体験してみて分かったことだが、特に哲学の素養があるわけではない人たちばかりで話をしていても、おのずと対話が深まり、哲学的になっていく。もちろんまったく自然にそうなっているわけではない。「おのずと」そうなるようにするのがファシリテーターの力量である。仕切りすぎず、ほったらかしにしすぎず、流れを邪魔せず、深みへと導いていく。今回、河野さんの「技」をみせていただいて、その巧みさに感心した。以前土屋さんから聞いたことだが、同じくいい哲学対話でも、ファシリテーターの個性によって話の方向性や雰囲気が変わるらしい。たぶん今回も、土屋さん、綿内さん、村瀬さんのグループは、趣が違ったものだっただろう。しかしどのグループも、それぞれの深みを体験していたようだった。
その後はみんなで「メタ哲学対話」、対話そのものについて振り返り、語り合うという時間をもった。これも哲学対話ではいつも行うことである。まず、「積極的に対話に参加したか」「人の話をきちんと聞くことができたか」「対話を通して自分の考えが変わったか」といった対話の姿勢やその結果について全員に質問し、「はい」「いいえ」「どちらでもない」で答える(「はい」は手を上に、「いいえ」は下に、「どちらでもない」は前にあげた)。
続いて参加者から様々な質問が出された――「対話がどこへ向かっているのか今一つ分からなかったが、何か方向性があるのか」や、「対話が深まるとはどういうことか」といった、対話そのものについてのものであったり、「ゆっくりとか、結論が出なくていいと言っても、実際に授業でやるのは難しい」とか、「対話の結果が学習指導要領と矛盾するようなことになったらどうするのか」など、実際に行うさいの問題点、悩みについても意見、質問が出た。
確かに、学校のカリキュラムや授業の枠とどう折り合いを付けるのか、どの科目で行うのか、それが最終的にどういう役に立つのかなど、先の見えないところはある。しかし、哲学対話(特にP4C)そのもののモットーにあるように、「急いではいけない」のである。一回の授業だけで何ができるかとか、授業の中で何が学べるかということではない。授業の時間と場所を超えた生活全体への波及効果は想像以上に大きく、またそれが結果的には授業の中での学びにもいい影響を及ぼすのではないかと思う。はっきりしたことを言うのは難しい。それでも、確実に何かが変わる――誰もがそう感じたのではないだろうか。そう、これはPhilosophy for Everyoneなのだ。すべての人に開かれた哲学。それは皆で共有できる場であるとともに、各自がみずからのために、それぞれの目標をもって引き受け、進めていくべき道なのだろう。

121113_kajitani03.jpg

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 梶谷真司「邂逅の記録28:ワークショップ 「哲学をすべての人に」報告(2)」
↑ページの先頭へ