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梶谷真司「邂逅の記録14:ハワイ大学との共同夏季比較思想セミナー報告(5)」

2012.09.11 梶谷真司

《深い次元のつながり》

8月2日(木)

 今日の午前中は中島先生のレクチャーであった。テーマは中国思想における天と人との関係、天人相関、天人感応について。まず中国の天の概念をどう理解するか、参加者たちに意見を聞き、そのあと『漢書』に記録された地震による様々な破壊、被害と帝国の崩壊、それを天からの罰(天譴)として捉える考え方について議論がなされた。そのさい中島先生が注意を喚起したのは、天人相関の思想と、帝国という政治体制の成立との関連である──天人相関は、皇帝の権力の正当化と制限を基礎づける必要性から唱えられたという。天と人との関係をめぐる漢代から唐代に至る異なる立場──調和、背反、無関係、等々──を見ながら、それについてどう思うか、様々な意見が交わされた。

 午後は、石田先生の西田哲学講義の第2回目であった。まずは「純粋経験」の「純粋」の意味であるが、それは何らの区別や分節化も含まない混沌や単一的な状態ではなく、多様性がそのまま統一された経験状態を指し、そこには経験することと経験されることの区別はない。そこで学生からは、経験と経験主体の関係、「統一」の意味、主客の区別の発生などをめぐって多くの質問が出た。西田の根本概念を苦労しながらも何とか理解しようとする学生たちの真摯さと、それに丁寧に根気強く──しかしそれ自体を楽しみながら──答える石田先生の姿が印象的だった。また私が多元的現実ということで考えていることが、西田の純粋経験と思いのほか重なる部分が多いことに気づかされ、個人的にも非常に啓発されるところ、西田(というより石田さんと言うべきか)に共感するところが多かった。

8月3日(金)

 今日の午前中は私のレクチャー。今日は「比較思想における心身問題」というテーマで、西洋における心身問題を、東洋の心身観とぶつけることで何が見えてくるのか、様々な角度からディスカッションした。とくに身体とは何かを改めて考え直し、科学が捉えるような物体としての身体が何を前提にしているのか、それとは別の身体経験とはどのようなものかを、現象学や中国医学との関連で議論した。2回目ということもあり、私自身は前よりもリラックスして授業をすることができた。参加者たちをからかったり、挑発する余裕もできて、ディスカッションも1回目より盛り上がったのではないかと思う。

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 午後は再びエイムズ先生の授業で、今日は人の本性(人性)の捉え方が主たるテーマであった。とくに重要なのは、この「性」を何か固定した出来上がったものとして理解するのではなく、ある種の傾向性として理解すること、またそれが家族をはじめとする共同体、社会における役割、周りの人との関係性、相互作用から形成されていくという点である。したがって「善」も、それ自体として独立に決まっているわけではなく、この関係性において決まり、また社会のなかで実現されていく──これが儒教的な倫理の基本的な発想であるという。儒教の基本的な思考様式が、関係性、全体性であることが繰り返し強調される。それが様々なトピック、主題のなかで具体性を与えられることで、まさしく思想に血肉が備わり、生きたものになっていくような思いがした。 

 今日で一週目が終わった。学生たちもだんだん慣れてきて、授業後、ハワイ大の学生たちと勉強会をしたり、夕食をともにしたりして、交流を深めているようだ。教員どうしもお互いの授業を聞いているので、どんなことを考えているのか分かるようになるのだが、問題意識や考えていることに、思いのほか共通点が多いことに気づく。やはりこの共同セミナーを企画したことは、たんなる偶然などではなく、深い次元でしっかりとつながっているということなのだろう。

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