梶谷真司「邂逅の記録13:ハワイ大学との共同夏季比較思想セミナー報告(4)」
《自分の初仕事、小林康夫という経験》
8月1日(水)
今日の午前中は、私の初の授業。英語での授業も、パワーポイントでの授業も初めての経験で、いささか緊張したが、始まってしまえば、心配していたほどのことはなく、スムーズに進んでいった。全体のテーマは「養生思想における人格の概念」だが、第1回目はその準備段階として、医療という領域を理論と実践の関係、現実の多元性を考えるのに格好の場と位置づけ、病気や健康にまつわる様々な考え方、行動、慣習を通して、そこに理論と実践がどのように関わるのかを議論した。専門性がそれほど高くないので、みんなでディスカッションできるようにしたいと思っていた。実際多くの人が自分の知っていること、経験したことを基にいろんな事例や意見を出してくれて、こちらとしても多くのことを学生から学ぶことができた。1回目としては、満足な出来だった。
ただ、終わった後は、緊張が解けて気が楽になったせいか、疲れが一気に出た感じだった。午後のエイムズ先生の授業はあまり集中できず、断片的にしか頭に入ってこなかった(大変申し訳ない)。しかし一つ印象に残ったことがある――自由を標榜した個人主義は、市民革命の当初は重要であり、価値もあったが、いまや自由ばかりを追求して行き過ぎた結果、共同性、連帯性を置き去りにして、他人がどうなろうが関心を持たないところまで来てしまった。その点で、同時代と世代間の連帯、共同を重視する儒教的な伝統を何らかの形で現代に生かす必要があると強調していた。このような時代認識は、おそらく洋の東西を問わず共有可能なものであり、ここに比較思想、国際的な協調の基盤の一つがあると感じた。
夕方6時からは、小林先生の基調講演があった。UTCPの創立者にして現センター長でもある彼が語るということは、このセミナーにとってぜひとも必要なことだ。テーマは、日本の美意識について。小林先生はそれを、西洋の本質-現象、中国の体用の概念を援用しながら説明なさった――本質を空虚なものに転化し、作用のみ行為のみの時限を開く。それをbeingからdoingへ、さらにはdancingへ、「花から草へ、草から風へ」の動きとして捉えた。簡潔で詩的な捉え方はとてもインパクトがあった。また最後に、西田幾多郎の「純粋経験」や和辻哲郎の「間柄としての人間」に触れ、哲学的営為のすべてを賭けるような根本問題をどこに見出すかということ、それが自分自身のものであり、新しいものであること、それが哲学をしていくうえで重要なのだとおっしゃった。哲学に限らず、学問を志すすべての人に言えることであり、若い人たちにとって(私にとっても)大きなメッセージになったと思う。彼のユニークさは相変わらずで、彼の語り、彼の存在自身が、私たちにとって一つの経験であった。