【報告】ジゼル・ベルクマン講演会「バートルビーと現代哲学」
2012年7月20日、東京大学駒場キャンパスにて、ジゼル・ベルクマン氏(国際哲学コレージュ)の講演会「バートルビーと現代哲学」が開催された。関東学院大学の郷原佳以氏をコメンテーターに迎え、UTCPの小林康夫の司会によって進行した同講演会は、日本学術振興会・外国人招へい研究者事業によって来日したベルクマン氏の連続講演の一環である。
ベルクマン氏はルソーやディドロをはじめとする18世紀のフランス文学・思想を専門としているが、同時にデリダ、ナンシー、ドゥギーについての論文を数多く発表するなど、現代の文学や哲学にも深く通じている。今回の来日講演では、首都大学東京および東北大学で行われた「カタストロフィの思想」というテーマの講演に加え、デリダ、ナンシー、ルソーなどをめぐる講演を全国各地で計6回にわたり行なった。その一環として開催されたUTCPでの講演会は、ベルクマン氏の近著『バートルビー効果——読者としての哲学者』(2011)に基づくものである。
ハーマン・メルヴィルの短編小説『バートルビー』は、「I would prefer not to(そうしない方が好ましいのですが)」という書写人バートルビーの決まり文句によってとりわけ広く知られている。しかし同時にこの作品が、20世紀後半の(とりわけフランス)哲学に極めて大きな影響を与えたものであるという事実も忘れてはならない。ブランショ、ドゥルーズ、デリダ、アガンベン、バディウ、ジジェク、ネグリなど、これまで『バートルビー』に言及した思想家や哲学者は枚挙にいとまがない。ベルクマン氏は、2002年から2005年まで国際哲学コレージュで「バートルビー効果」と題するセミネールを行ない、後にその成果を同名の著書として発表した。今回の講演会は、メルヴィルの『バートルビー』と、現代の哲学および文学の関係をめぐるベルクマン氏の深い洞察の一端を垣間見せるものだった。
書写人バートルビーをめぐる批評的な星座の中心をなすのは、まずもってモーリス・ブランショである、とベルクマン氏は言う。『災厄のエクリチュール』において、バートルビーの「I would prefer not to」という言葉のうちに言語それ自体の抵抗を見るブランショは、早い時期からこの短編小説に着目した作家のひとりだった。ブランショは、「I would prefer not to/Je préférerais ne pas (le faire)」という表現を、「好み=傾向」を抹消し、そのうちでみずからをも抹消する「否定的な好み=傾向(préférence)」として理解し、それを彼自身の鍵概念である「中性的なもの(le neutre)」という言葉によってパラフレーズする。ベルクマン氏によれば、こうしたブランショの議論から後のデリダ、ドゥルーズ——さらにはアガンベン、バディウ、ジジェク——らの議論が生まれてきたのであり、その意味で「バートルビーと現代哲学」という主題のうちにブランショが占める位置はきわめて大きいものである。
もちろん、『バートルビー』に対する関心は哲学というひとつの分野にとどまるものではない。書くことをやめ、長い沈黙に陥った作家たちを「バートルビー症候群」と呼んだエンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』に代表されるように、「書写人(scribe)」、すなわちみずからの作品をもたない特殊な「作者(auteur)」であるバートルビーは、文学史においてももちろん特別な存在でありつづけてきた。そしてここでも、『火の部分』などにおいてバートルビーを「作家(écrivain)」とみなしていたブランショの重要性が強調されるのである。
以上で簡単に見たように、いわゆる(悪しき意味での)「文化的な」受容も含め、『バートルビー』というごく短い小説が今日までにもたらしてきた影響力にはきわめて大きいものがある。しかしベルクマン氏が前述の著書『バートルビー効果』において主題としたのは、その副題に示されている「読者としての哲学者」、すなわち哲学の「外部(dehors)」としての文学との関わりにおいて思考を練りあげていった哲学者たちの姿である。ベルクマン氏は、フーコーがブランショを論じる際に用いた「外の思考」という概念などにも言及しつつ、哲学と文学の関係に対する関心にも話題を広げる。
コメンテーターである郷原佳以氏(関東学院大学)は、かつてベルクマン氏のセミネールに出席していたという事実にも触れつつ、『バートルビー効果』という著作全体にわたるコメントを加えた。郷原氏は、『バートルビー効果』の試みに賛意を示しつつも、そこでのブランショの位置づけについては数点の疑問を呈した。とりわけもっとも本質的な疑問として提出されたのは、ブランショを「文学からエクリチュールへ」という移行によって理解することが妥当か否かという点である。『バートルビー効果』の第1章(および第2章)では、こうした「移行」という図式のもとで、「後期ブランショ」が「前期ブランショ」に対してつねに優位に置かれている。郷原氏は、実際にブランショのテクストを引用しながら、ブランショの思想がこうした単純な「発展」の図式には必ずしも収まるものではないということを説得的に論じた。
ここまで何度か繰り返したように、本講演会はベルクマン氏の著書『バートルビー効果』に基づくものであり、講演のなかではその導入部分が披露されるにとどまった。しかし翻って言えば、『バートルビー』とそれにまつわる数多の議論に馴染みのない参加者にとっては、その問題の要点を押さえた格好の入門となったことだろう。なおかつ、今回の講演や討議では主にブランショに議論の照準が合わせられたことによって、同書をすでに読んだ者にも多くの発見をもたらすものであったと言える。濃密な来日スケジュールの中で講演を行なってくださったベルクマン氏と、充実したコメントを加えてくださった郷原氏に深く感謝したい。
(報告:星野 太)