梶谷真司「邂逅の記録7:国際哲学オリンピック2012 オスロ大会 視察報告(6)」
5月18日(金) 審査に現れる理性の普遍性
高校生は午前中、三つのテーマの講義とグループ・ディスカッション。一つ目はテロリズム対国家、二つ目は世俗社会における宗教、三つ目は多文化主義と権利の普遍性。それぞれの後でグループごとに議論し、最後に三つのテーマで全体討論となる。いずれもきわめてアクチュアルな問題であり、こうしたテーマで世界各国の高校生が熱心に議論をするというのは、想像するだけで胸躍るシーンだ(後で述べるように、教員は審査があるため、高校生たちがどういうふうに過ごしているかを直接見ることは、残念ながらできない)。
午後は、合計5つのテーマのワークショップが、80分ずつ2回あり、そのうち一つずつ(計2つ)選んで参加する。テーマは、①自由とは何か、②善と悪はどう区別するか、③行為はニューロンによって決定されるか、④悪とは何か、⑤科学をどう使うべきかの五つ。それぞれのところで熱心に議論を交わしたようだ。こちらは午前と異なり、オーソドックスな哲学のテーマであり、この点でも、教育的な配慮が行き届いたプログラムになっていると言える。
大会プログラムはこちら→ http://ipo2012.no/?page_id=45
さて教員のほうは、朝から前の日に生徒たちが書いたエッセイの審査。まず全体で採点基準について話し合った。ポイントは主として5つある。1.課題文のトピックとの関連性(4つのうちでテーマとして選んだ課題文の内容と、エッセイの内容がどれくらい関連しているか)、2.トピックについての哲学的理解度(課題文の内容について、どれくらい哲学的な知識があり、相応の議論が組み立てられるか)、3.議論の説得力、4.議論の首尾一貫性、5.オリジナリティ、の5つである。語学力については、程度問題ではあるが、文法や語法のミス、表現の拙さは、基本的には評価の対象にしない(もちろん語学力が高ければ、よりしっかりした文章、より適格の表現ができるので有利にはなる)。まっとうな基準だろう。当たり前かもしれないが、こういうことが世界各国から来た人たちの間で、ちゃんと合意ができて、皆が納得するというのは、やはり人間の理性、常識の普遍性を感じさせる。
エッセイはすべて通し番号がつけられ、国籍・名前はいっさい分からないようにして、同じ国の人が採点しないように配慮される。4人でグループになって、割り当てられたエッセイを全員で読み、各自で評価をして意見交換をする。全員で合意に達する必要はなく、話し合ったうえで、各自で判断して点数をつければよい。細かい基準や手順を書くのは控えるが、最初の審査で出した点数の平均で一定の水準に達しているものを合格とし、第二次審査にかける。そのさいさらに4人が審査に加わり、最終的な成績を決める。そこで出て来た評価上の問題については、かなりしっかり議論をして、できる限り正当かつ公平な評価に達するように努める。このようなプロセスの全体が、非常に理にかなっている。
午前中かけて一次審査を行い、午後に二次審査と最終評価の議論を行った。終了したのは夜の7時過ぎだった。実際に審査をして分かったのは、まずは課題文にきちんと向き合うことが大前提なのだが、それがきちんとできている人が必ずしも多くはないということだ。中にはトピックとほとんど関係ないほうに議論がそれてしまうものもある。他方で、哲学の知識に関しても、議論の展開、説得力についても、大人顔負けのエッセイを書く高校生がいる。規模は小さくても、さすがオリンピックと称するだけのことはある。世界レベルというのは、これほどのものかと感心する。
最終結果、どこの国の誰がメダルを取り、あるいは入賞するのかは、明日、最終日のClosing Ceremonyの最後に発表される。それまでは教員のほうにも結果は知らされない。もっとも盛り上がる瞬間らしい。今から楽しみだ。