梶谷真司「邂逅の記録3:国際哲学オリンピック2012 オスロ大会 視察報告(2)」
IPOとUTCP(続き)
北垣先生をはじめとする先達の功績に、感心ばかりしてはいられない。実は北垣先生は英文学がご専門で、延原先生、林先生は宗教学者である。どのようなことであれ、価値あることは、強い志をもった少数の人によって始められるものだが、それにしても10年は長い。日本の哲学界がIPOという哲学の国際的活動にずっと関心を示さなかった(少なくとも直接関わらなかった)のは、いろんな理由があるのだろうが、自分も含めて、恥ずかしい限りだ──と実際に行ってみて強く思った。
別に国際的な流れに乗り遅れるなと言いたいわけではない。IPOの理念は、広い意味での哲学教育であり、とくに中高生を中心とする若い人々の間に哲学・倫理的な問題と思考への意識を育て、広めていくことにある。グローバル化が加速する現代、世界の人々、国家、文化が共生していくためには、社会全体での哲学的関心の醸成・普及、若い世代への教育が重要であり、それこそIPOの目指すところなのだ。
日本においても、元来であれば、まずは哲学研究者の間でそのような意識が育ってもよかったはずである。確かに個人的なレベルでは、そのようなことに関心をもつ研究者はいた。日本哲学界でも、ここ3年連続で高校、小中学校での哲学・倫理教育に関するワークショップが行われている。しかし、そのような限られた取り組みを除けば、今までは組織的な動きにも、IPOのような国際レベルでの活動にも至らなかった。
さて、駒場キャンパスの「共生のための国際哲学研究センター(UTCP)」のグローバルCOEがこの3月に終了し、今後は上廣倫理財団からの支援を受け、新体制で活動していくことになった。同財団は本郷キャンパスですでに死生学研究の寄付講座をもち、京都大学、オックスフォード大学、ハワイ大学でも哲学・思想研究を支援している。そしてIPOにも関心を示し、事務局を引き受けることになったとのこと。また北垣先生もご高齢になられ、よりしっかりした組織がIPOの活動に協力することをご希望なさり、上廣財団がUTCPとの間を取りもってくださった。これまで研究ばかりではなく、若い世代の育成にも取り組んできた当センターにとって、IPOのために尽力することは、必然でもあり使命でもあろう。
私自身、前任校の帝京大学でも、広い意味での哲学的思考の必要性を実感し、いわゆるアカデミック・ライティングのみならず、就職活動においても、学生たちにそうした「根本から考える」態度を教え、また共に考えてきた。就職活動で重要なのは、自分と社会と向き合い、そこから自分がなすべきこと、なしうることをいかに説得的に表現するかであり、それは結局哲学的な姿勢に他ならない。東大に来てからも、学生の研究・論文の指導において、私が重要だと考えるのは、物事に対するそういうスタンスである。また昨年から、クリティカル・シンキング教材開発の科研プロジェクトのメンバーにもなっている。だからIPOの活動は、私にとって何か運命を感じさせるほどに強く興味を引かれ、積極的に関わるよう自ら望んだ次第である。
というわけで、今回私が日本代表団に同行し、視察することになったので、ここにその報告をしたい。ただし、ここにきて急に訳知り顔で語って自らを免罪する気はないので、あらかじめ言っておくが、私自身IPOなるものは知らなかったし、UTCPのメンバーになっていなければ、今でも知らなかっただろう。そういう意味では、このような報告を書くのは、自分の見識のなさと無責任さをさらす以外の何物でもないが、きっと今後いろんな人にとって参考になると思われるので、恥さらしを承知で書かしていただくことにする。