【報告】John Maraldo "What is Japanese Philosophy?"
2012年3月6日、北フロリダ大学名誉教授のジョン・マラルドさんをお迎えして、”What is Japanese Philosophy?”と題された講演会が開催されました。
マラルドさんには、2009年にもUTCPで「日本哲学の約束」というご講演を二回して頂いたことがあります(報告1、報告2)。また、マラルドさんは、昨年出版され、UTCPでも出版記念ワークショップを開催した、Japanese Philosophy: A Sourcebook (University of Hawaii Press, 2011)の編纂者のお一人でもあります。ソースブック出版記念ワークショップには、事情があって、編纂者のうちマラルドさんだけをお招きすることが出来ませんでした。しかし、日本哲学を世界の人々に広めるために重要な貢献をされたマラルドさんを日本にお招きして、感謝の気持ちを伝えることは、分野が何であれ、日本で哲学をする者にとって極めて大切であるという、小林康夫拠点リーダーの強い意向があり、グローバルCOEの期間中にお招きすることがかないました。
さて、今回のマラルドさんのご講演は、現在ご執筆中の論文に基づいて行われました。現在ご執筆中ということもあり、あまり詳しい内容をお伝えすることは控えさせて頂きますが、日本哲学の観点から西洋哲学を見てみるという興味深いものでした。従来、日本哲学というものを考える際には、古代ギリシアに由来する(と主張される)西洋哲学の観点から、日本哲学は哲学と呼ぶにふさわしいものなのかどうかということが問題であったように思われます。マラルドさんのご講演は、ロバート・バーナスコーニとピエール・アドーを援用しながら、その西洋哲学中心的な、狭い哲学観を広げていこうという意図をもったものでした。そのように広げられた哲学観に基づき、日本哲学から西洋哲学を見てみると、西洋哲学は日常生活と身体から二重に分離しており、そうした二重の分離を克服することが重要である、とマラルドさんは主張されました。
ここで、マラルドさんのご主張について色々と議論をすることはできませんが、自分たちが行なっている哲学とはそもそも何なのかということを考える良い機会を与えられたように私には思います。というのも、マラルドさんがご講演のなかで提示された古代ギリシアの哲学者も日本の哲学者も、現代の大学や研究機関で研究をしている私たちとは異なる活動を行なっていたように思われるからです。この点について、マラルドさんにお尋ねしたところ、確かに今回の講演を用意するにあたって、自分も何時間もコンピュータに向かっていたわけだから、その意味では分離しているようなところもあるが、それでもあまりに専門に特化して、社会から遊離してしまうような哲学にはやはり問題があり、その意味でも二重の分離を克服するような哲学が重要である、ということでした。その他にも聴衆から様々な視点から質問があり、非常に有意義な講演会であったように思います。
吉田敬(特任講師)